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虎に翼の感想、別所から引っ張ってくるの巻 

昨日の穂高先生のあれは「お前はもう死んでいる」だと私は思っているので、もうあのフォローは善意と気遣いでも「丁寧にお弔いしてあげるからね」にしか聞こえなかったし、よねさんは「しぬな、倒れるな、自分もいるから」って声をかけていたけど、「自分を曲げない」ことで寅ちゃんをひとりで矢面に立たせるしかない後ろめたさや悔しさもずっと強くあったと思う……「しにたくない」って手を取ってほしかったね……。
土居さんのお芝居も素晴らしかった……。事務所での「は?」のあの突拍子もない発声、あんなの意図的にできるもんなんだな……。事務所や燈台でのあの「悔しい」「悲しい」が凝縮されたお芝居に胸が潰れそうだよ……。

慈悲的差別とパターナリズムの真綿で寅ちゃんが絞めころされてしまったし、それを「看取る」しかできなかった「無資格」のよねさん……。

ラジオのは「出陣学徒壮行会」1944年10月21日かね……。
1944年2月の「決戦非常措置要綱」で燈台は営業停止状態のはず、だからよねさんは「ヤミ弁護士」業務的なあれを……。
岡山大空襲は1945年6月29日……。

虎に翼の感想、別所から引っ張ってくるの巻2 

涙も出ない「葬式」回……。
自分が慣れてる浄土真宗の葬式にあてはめるけど、行李に六法しまうシーンのあれ、出棺前の「最期のお別れ」の構図じゃん……。
穂高先生が女子部の教室で寅ちゃんの手紙を読むシーン、訃報を受けたシーンにしか見えなかった。
葬式だった……。女性(弁護士)たちが次々と倒れ、死屍累々の山が見えるようだった。
でも昨日の穂高先生は、そうやって屍を積み上げて、誰かがいつかその先に辿り着くって言ったんだよ……。
屍の山のふもとで、佇んで見送るしかできないよねさんのつらさ、力尽き心を折られた寅ちゃんの苦しさよ……。

溺れて沈んでしまう前に「しにたくない」って、よねさんが差し伸べていた手にしがみついてほしかったけど……寅ちゃんは寅ちゃんで背負い込みすぎてて、とてもじゃないけど「よねさんまで沈めるわけにはいかない」って思ってたろうし……。
「どうすればよかったの?」はあれ、よねさんも思ってたと思うよ。「あたしが自分を曲げてでも弁護士になっていればよかったのか?」って。
鏡写しのような寅よねちゃんが身を刺すようにつらく、同時に「君らめっちゃロマンチックだな!」と思う自分もいます……。

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