頭が煮えくり返って言葉にならない。
ずっと「安全性に問題はない」って言ってきたくせに。やめろ、飛ばすなの声をずっと無視してきたくせに。これまでの説明はなんだったんだよ嘘つきども。
沖縄県在住の人たちのへの危険性も恐怖もストレスも怒りも事故そのものも叫びもずっと無視してきて、米軍兵士がたくさん死んでしまった途端にこれ。これかよ。
米軍からの沖縄県軽視にずっと追従し続けている日本政府の沖縄県・琉球差別がどこから来ているかって、1609年からだと私は認識している。
その後の戦争でも散々に各地で侵略を虐殺を殖民地支配を続けて、敗戦で「近代化」「民主化」するチャンスならあったろうと思うんだよ。侵略支配への責任のとり方なんてもっといくらでもあったでしょう。それをやらなかった、「日本に同化しろ」と強いたくせに、「日本」だと思っているならあんな無茶苦茶な戦禍を引き起こさないでしょ、もっと早く降伏したでしょう。
「宗主国」面した日帝がどれだけ残虐を極めた醜悪の暴威かは自分ごとで直視すんのも正直きついよ。でも私のルーツはそれをしてきた側だから。
何が言いたいかって、武力で支配したから日本国所属って強制して同化させようとしたくせに、「本気でそうは思ってないだろ」ということ。その軽視が示すものがあるでしょ。
対等な一員だと思っていないということ、差別
同じ国家の大切ないち地域だと思っていたら、あんな風に「犠牲」にして「切り捨て」るかよ。必死になって守るなりするでしょ。
降伏してしゃあしゃあと「手放し」て、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、良くわかりませんから、そういう問題についてはお答ができかねます」(1975年10月31日)なんて言うか?わざわざ首里城の地下に壕を作って、のうのうと逃げ延びて自死してトンズラこくかよ。その後何ヶ月日本軍人が沖縄県の島々の人たちを殺したよ。
そういうことの責任もとらず、反省もせず、ずっとアメリカの言いなりでなに「差し出して」るんだよ。「日本だ」って言うなら本気で何とかしようとしろよ、なんで投げっぱなしで押し付けて、挙句の果てに抵抗の声を、怒りの集会を抗議の座り込みを命懸けのカヌーをあざ笑うのか。
こういうこと言ってるとネトウヨって本当になんなのかって心底思う。お前らこそ大切だって、大事だって、お得意の「尊い犠牲」だの「英霊」だの崇めて祀るくらいしねぇと嘘じゃないの。そんなことしても私らは許されると思うなよ。
そこから更に「癒しの南の島」「ゆるくて優しい人たち」って消費と搾取と収奪をしまくってんだよ。破裂しそうだよ。
ドメスティック・バイオレンス的な姿勢極まりない私たち
日本が殖民地支配した地域全てにそう思うけれど、私はCoccoの『ブーゲンビリア』を聴いて沖縄県に「興味をもった」。なんてご身分だろう。
彼女は出身地を「売り」にすることを避けていた。だけど『SWITCH』のインタビューでは沖縄県のことを話していた。
調べれば調べるほど根深くて、深刻で、私は今も「途方に暮れる」、だからそれがいいご身分なんだろってことだ。
今のままでは死ぬまで罪を上塗りし続けることになる。そうしている間に沖縄県は文字通りヤマトに「切り崩され」る。既にどれだけ遅くても、今起きていることをとめて、そこからしかはじまらないものがあるのに。
私の謝罪は自己満足で無価値だ。そんなもの求められてはいないだろうと思う。それでもこの「どうしようもない申し訳なさ」を手放して、さも沖縄県に「寄り添い」「味方ヅラ」することは絶対にできないし、したくもない。できないんだよ。私は死ぬまでヤマトの人間だ。その立場でしか何も言えない。
本当に申し訳ないとずっと思っている。なんにもできないで、なんにも止められなくて、なんにも是正できなくて、矢面に立たせて、いつも自分は何をしているんだ何もできていないのにと思っている。
私たちは収奪をやめろ。ちゃんと償え。