頭が煮えくり返って言葉にならない。
ずっと「安全性に問題はない」って言ってきたくせに。やめろ、飛ばすなの声をずっと無視してきたくせに。これまでの説明はなんだったんだよ嘘つきども。
沖縄県在住の人たちのへの危険性も恐怖もストレスも怒りも事故そのものも叫びもずっと無視してきて、米軍兵士がたくさん死んでしまった途端にこれ。これかよ。
米軍からの沖縄県軽視にずっと追従し続けている日本政府の沖縄県・琉球差別がどこから来ているかって、1609年からだと私は認識している。
その後の戦争でも散々に各地で侵略を虐殺を殖民地支配を続けて、敗戦で「近代化」「民主化」するチャンスならあったろうと思うんだよ。侵略支配への責任のとり方なんてもっといくらでもあったでしょう。それをやらなかった、「日本に同化しろ」と強いたくせに、「日本」だと思っているならあんな無茶苦茶な戦禍を引き起こさないでしょ、もっと早く降伏したでしょう。
「宗主国」面した日帝がどれだけ残虐を極めた醜悪の暴威かは自分ごとで直視すんのも正直きついよ。でも私のルーツはそれをしてきた側だから。
何が言いたいかって、武力で支配したから日本国所属って強制して同化させようとしたくせに、「本気でそうは思ってないだろ」ということ。その軽視が示すものがあるでしょ。
ドメスティック・バイオレンス的な姿勢極まりない私たち
同じ国に属する地域って言いながら「切り捨てて」、固有の言葉も文化も捨てさせて、地上戦大空襲自死の強制スパイだと言って大勢殺して、許される要素は何もない。ヤマトがしてきている差別だ。ずっとだ。
そのくせ都合よく「異国情緒」的な場所として「自分たちに都合のいいところ」だけ貪り続け、ずっと存在する基地由来を中心とした膨大な暴力を見ないふりして「耐えろ」「仕方ない」って吐き捨ててるんだ。ヒルにも劣ると思う心底から。
ゆるされずとも罪を謝り、永劫に反省を続け、過ちを二度と繰り返さず、自己決定権をただしく返し、可能な償いを行い、当たり前に、ちゃんと、尊重するんだよ。
「仲間だ」「同じだ」って言いながらヘラヘラ笑って馬乗りになって殴りつけてるようなもんだろずっと。それをもう、今すぐにやめるんだよ。やめた上で、そこで終わらないよ。そっからだよ全然。
顔を上げて「沖縄のこと好きなんですよね」なんて言えるもんか、そんなこと口にする資格はない。どの面下げて沖縄県の土地を踏めると言うのか。
ドメスティック・バイオレンス的な姿勢極まりない私たち
日本が殖民地支配した地域全てにそう思うけれど、私はCoccoの『ブーゲンビリア』を聴いて沖縄県に「興味をもった」。なんてご身分だろう。
彼女は出身地を「売り」にすることを避けていた。だけど『SWITCH』のインタビューでは沖縄県のことを話していた。
調べれば調べるほど根深くて、深刻で、私は今も「途方に暮れる」、だからそれがいいご身分なんだろってことだ。
今のままでは死ぬまで罪を上塗りし続けることになる。そうしている間に沖縄県は文字通りヤマトに「切り崩され」る。既にどれだけ遅くても、今起きていることをとめて、そこからしかはじまらないものがあるのに。
私の謝罪は自己満足で無価値だ。そんなもの求められてはいないだろうと思う。それでもこの「どうしようもない申し訳なさ」を手放して、さも沖縄県に「寄り添い」「味方ヅラ」することは絶対にできないし、したくもない。できないんだよ。私は死ぬまでヤマトの人間だ。その立場でしか何も言えない。
本当に申し訳ないとずっと思っている。なんにもできないで、なんにも止められなくて、なんにも是正できなくて、矢面に立たせて、いつも自分は何をしているんだ何もできていないのにと思っている。
私たちは収奪をやめろ。ちゃんと償え。