アサーティブな批判とは
マストドンで、少し配慮の足りない発言をした人に、明らかに見下しと侮蔑が見えるやり方で厳しくそれを指摘してる人を見かけて、すごく嫌な気持ちになった。
Twitterという場が煮詰まったときも思ってたけど、そういう言動は人が失敗したり間違えたり、知らないことを知らないと言ったり、わからないことをわからないと言ったりできない環境を作るから良くないと思う。
人によってそれぞれの立場で譲れないものがあるから、厳しい批判になっても仕方ないところもあるとは思う。
ただ、知識の山の上であぐらをかいて上から人を叱りつけても、その人の言いたいことって相手にちゃんと伝わるんだろうか。
私も我慢し続けて耐えかねていきなりきつく注意したことがあるし、我慢ならない発言をされた方がそこまで気を回すのは納得いかないこともあると思うけど、完全に悪意があるような相手じゃないのなら、相手も自分も尊重した批判の仕方が必要だと思う。
「常識」や「知識」の代弁者にならず、相手も自分も尊重して「私」の言葉を話すこと、それがアサーティブな批判かなと思う。
みずさきです。
・「カルトと社会」、「死と性の倫理」、「人工知能とこころ」を主な柱として、「生態学的哲学」「生態学的社会学」と位置付けた思索・創作活動をしています。
・Xジェンダー(無性)、パンセクシャル、リスセクシャル、アロマンティック。
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