裕福な家庭はこうした不都合を低賃金労働者の力を借りて乗り切っている。物事が家庭の手に
余ったり、行政が頼りにならなかったりするとき、アウトソーシングされた社会的再生産の仕事、たとえば手頃な料金の託児先を提供するのは移民、女性、有色人種の男性といった人びとだ。 (…)その点では高等教育を修了するという私自身の「教育」は、少なくとも部分的には、宅配業者や保育士など、仕事内容の割に低賃金な境遇におかれた人びとの存在に依存していた。このことは、ケアワークの公的インフラが不足している中で家計を回していくために自分たちのやっていることが、結局はさまざまなレベルの搾取を強化し、女性の間の格差の拡大につながっていると思い知らされることでもあった。"(レスリー・カーン フェミニスト・シティ p.64)
"一九七二年七月に首相となった田中(角栄)は、すぐさま一九七三年度予算の編成に際して
の無償化や五万円年金の実施などを盛り込み、「福祉元年宣言」をした。これは持論である農
部の工業化や新幹線を軸とする高速交通網の整備などの地方開発を集約した『日本列島改造
論』のような開発主義だけでは都市部の支持層を得られない、と考えた田中の戦略であった。
しかし、「福祉元年」になるはずだった一九七三年一〇月には第四次中東戦争による石油危
機が起こり、右肩上がりの日本経済に暗雲がたちこめ、景気は停滞、税収が伸び悩んだことか
ら以降、社会保障費拡充が困難になったのである。ここに国家に依存しない日本型福祉社会論が台頭してくるのである。"(安藤優子 自民党の女性認識「イエ中心主義」の政治指向 p.54〜55)
> ぺぺは、ラディカリズム(根源)をかつてなく標榜していた。「リベラルは、ラディカルから生まれ、育まれる」と言っていた。
"労動権が認められれば、彼女たちはほかのどんな労働者とも同様に、それをもって、公の場で、みずから搾取や暴力にさらされる状況を変えるために主張し、団結し、行動することが、少なくとも理論上は可能になる。現実にも、労働者として社会に認められるなど条件が整えば、彼女たちが被害者か犯罪者としてのみあつかわれ、搾取や暴力にあった場合にも、救出や援助のみを頼りにしなくてはならないような、
そして、つねに逮捕や強制送還におびえながら隠れて暮らすような必要もなくなる。それが、奴隷状態から命を賭けて逃げてきた人を助けるのと同程度に重要な、エンパワメントなのではないだろうか。"(新編 日本のフェミニズム9 グローバリゼーション p.226)
"沖縄においても性暴力は被害者とその家族にとっての「恥」と考えられる傾向にあることから、直接訴えにくい状況にあった。だが、そうした状況を大きく変えたのが、北京女性会議での参加経験、そしてそのさなかの「少女暴行」事件であった。高里(鈴代)は、事件が起きた日のことを「今まで見えなかったことが浮かび上がってきた日」と述べている。「女性への暴力」という言葉は、これらが数ある暴力の一形能だけでなく、女性にとっての人権侵害だということを明確にし、それまで名指すことができなかった問題に名前を与えた。"(新編 日本のフェミニズム9 グローバリゼーション p.21)
元従軍慰安婦の訴えと沖縄の性暴力の訴えの連動性を自分も見落としていた……。
読書記録を小まめにつけていきたい
https://sekizui-sekiko.hatenablog.com/entry/2023/02/11/130825
こういうことポロッと言っちゃうから新左翼崩れみたいなのは信用できないんだよ。差別に慎みもクソもないだろう。
https://twitter.com/accentdeverite/status/1621780134532644865?s=46&t=xlQi2PFKfVt8TQCRz_fIcQ
「歴史とは何か」を読んで考えていたことと、千田有紀の発言に思うところをブログに書いた。
https://sekizui-sekiko.hatenablog.com/entry/2023/02/07/003105
差別のない安心して利用できる空間を
精神科病院の看護助手や派遣バイトで税金や中退した大学の奨学金を払いながら本を読んだり絵を描いたり音楽を聴いたりしています。