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唯物論を徹底すれば身体に性別は無いというのは当然のことで、トランス差別のために唯物論を使う人間はきちんと唯物論に向き合ってないか、不誠実なだけなんだと思う。

リヒター展もあってかユベルマンのホロコーストにまつわるテクストが邦訳されて助かるという気持ち。歴史の眼シリーズの4弾は出ないのだろうか……。

上野千鶴子、90年代〜0年代にかけてクィア理論やポスト・コロニアリズムに追いつこうと精力的に活動していた時期があったが、だんだん研究対象が介護保険やケアに移るにつれ、離れていった印象がある。(竹村和子の死も影響にありそう)千田有紀ほど滅茶苦茶なことは言わないとおもうが、NHKの『ゲイやホモ』発言はもうクィアのことはあまり関心ないですよという証明だよなぁ。今やってる「おひとり様」シリーズが大事なことなのは分かるんだけど……。

『ケイコ 目を澄ませて』を観た。耳が聞こえないという生き方に対するリスペクトが感じられる良い映画だった。

年が明けるというのが辛くなってきたフリーター3年目突入です

アライダ・ダスマン『想起の空間―文化的記憶の形態と変遷』Amazon価格44,800円

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かなしい

ぼっち・ざ・ろっく!がある土曜日がなくなっちゃった……

アキバ冥途戦争は、推し文化とその暴力性を、推しとファンの関係性ではなく、産業内部の問題として描いたアニメだと思う。面白かった。

インパクションのバックナンバーが全部電子化されたりしないかな……

この人間が生きているということで、誰が喜ぶか。誰も喜びゃしない。このように消えてなくなってしまう食糧のために──この女だって、そう大して生きていたくもなさそうだ。(小島信夫『汽車の中』)

"1946年に連合国軍の司令に基づいて日本への外国人民間人の移動が禁止されたものの、日本国内にはその時点でまだ、外国人の入出国や登録・居住に関する法律は存在していなかった。1947年5月2日に公布された外国登録法令が、入出国と登録・居住に関する日本の国内法である。「令」とついていることからわかるように、外国人登録令は天皇裕仁によって発出された勅令であり、日本との平和条約の発効と占領の解除に伴って廃止され、外国人登録法となった。"
(入管問題とは何か p.66)

栗田さんのことは活動家として尊敬しているので、なおさら今回の件で選択を誤ってほしくない。後藤氏の指摘に対し、あの返答では不十分に感じる。

ビョークのsorrowful soilは新しいアルバムの中で1番好きな曲だったから、MV出してくれて嬉しい。生で聴いたら本当に圧倒的だろうなぁ。

youtu.be/zMjlqSH3czw

100 gecsの最近リリースされたシングルに入ってるSkrillexのコラボ曲。聴いているとゴキゲンな気持ちになれる。

youtube.com/watch?v=vaBFLNWnQ0

町田奈緒士さんの『トランスジェンダーを生きる:語り合いから描く体験の「質感」』を読む。いままで、社会はトランスジェンダーという存在を過剰に他者化してきてはいないか、トランスジェンダーだって他者と関わって生きているのだから、過剰な他者化は当事者の「安心して生活できる」環境を奪ってしまう。こうした現状の中、シスジェンダーがトランスジェンダーの体験を“追体験“するにはどうすればいいのかを研究している。当事者が他者から間主観的に自分を把握される経験に重点を置かれており、当事者の生活の中で感じていることにちょっとでも触れることができたのかなと思える読書だった。

最近は高橋哲哉氏の『歴史/修正主義』や武井彩佳氏の『歴史修正主義』といった歴史修正主義についての本を読んでいる。国際社会の中でホロコースト否定論を主張することは自滅行為に等しい。それなのにナショナリストは“国のため“にそれを主張する。この倒錯は一体何なのだろうか……。

東京都人権プラザの常設展示は差別や人権の問題を市民の問題に還元しようという意志を感じられるものだった。遺骨問題や米軍基地、入管、天皇制とかは触れられていない。図書資料室はそんなことなく、天皇制批判が含まれる本もあった。地味なところで職員は抗っていると思う。

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