「あなたはプレイヤーでしょ、諦めんなよ(修造)」という宮下修造の言葉、心に刻もう。
なんかコンテンポラリーに飽きちゃっているのよねえ。最近は、根本的に変なことをやっている反時代的な作家にのみ関心が向いている。
というか、コンテンポラリー・アート的な文法を洗練させた作品もいいけど、僕的には飽きた感じある。《どの時も、2024》のような掴みどころのない作品に惹かれるな。
フィクションとリアル、作品の内/外を次々と反転させるこうした仕組みは、《マリリン》の上映が終わり、展示室の外に設置された《ヘリオトロープ》が駆動しはじめるとき頂点に達する。
《ヘリオトロープ》のインスタレーションでは、通常美術館では忌避される太陽光を作品を通して空間内に取りこみつつ、他方で美術館の外部環境からフィールドレコーディングされた音(鳥の囀りや川のせせらぎ)がスピーカーを通して再生される。そこでは美術館の内/外を連続させるとともに、美術館の外にある自然が観るべき対象となる。すなわち、視野の外にあった自然が鑑賞の対象へと反転するのだ。と同時に、いままで鑑賞の対象だった《マリリン》のインスタレーションが今度は、自然を見るための舞台(環境)へと反転することになる。
ドローイングのみで構成されたインスタレーションも同様である。この部屋では、展示ケースのガラス面とケース内の双方に作品が設置されており、照明の明滅に合わせてドローイングが現れたり消えたりする。そこでは作品の内と外(いわば図と地)が交互に反転する。
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