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ある方と話していて。絵画、彫刻はザ西洋美術でそこに非西洋の作家は参入しずらい。杉本博司や河原温などコンセプチュアルな形式や写真を用いた作家だけが、国際的に活躍できたのも、そうした理由による。そして、多文化主義以後は日本的なものを背負わされる。西洋中心主義はなかなか根深い。

@miyarisayu うん、翻訳されてない……PDFをもっているんだけど、いります?

宮下さんの投稿を読んで、先日読んだレオ・スタインバーグのテクスト("Contemporary Art and the Plight of its Public")を思い出した。彼は、現代美術との遭遇を「信仰」の問題としてとらえている。それはスタインバーグがユダヤ人だからだろうけど、とても重要だと思う。理解できない作品と出会うとき、ぼくらは「不安」に思い、場合によって「嫌悪」さえ感じるが、そのとき、理解できないものに対する信仰と、自身がいままでもっていた価値観を「犠牲」にする勇気が試されるのだ、とスタインバーグはいう。みずからの「不安」と対峙することは、だから、きわめて政治的かつ倫理的な態度でもある。

自己否定の裏には向上欲があり、生の欲望があるのであって、そうしたボジティヴなエネルギーに目を向けろというのが森田。

気分に左右されず、物事をエネルギーの配分量でコントロールすること。

@tenjuu99 その記事読んでなかったけど、なるほどですね! なんかこれ、河村がもっているコレクションが目当てで香港ファンドが仕掛けてきているようにみえる。

アンドレ展の是非とは別にあれだけのコレクションをもった美術館が休館するというのは大変なことだと思う。

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河村記念美が休館……けっこうショックでかい。でも河村にかぎらず、今後は休館や閉館に追い込まれる美術館も増えてくるだろうし、遅かれ早かれか……いやー。

このドラマは弱さや傷を互いに分け合うことで対立を乗り越えようとしている。

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みんな弱さや傷を抱えている。それを丹念に描き、そしてそれぞれの生を肯定する。『虎に翼』のことだけど。

ある作家のひとと話していて、在外派遣でアメリカに行ったときアーティストたちが支え合っている姿が印象的だったとのこと。これはとても考えさせられる。
日本は(一般にそうは思われていないが)個人主義であり、他者に対して冷たい。これはおそらく、民主主義をみずから勝ち取ったわけではなく、敗戦によって民主主義の概念が外からインストールされた歴史と無関係ではないだろうと思う。
怪しい状況にはなっているが、アメリカには(ヨーロッパも)民主主義の蓄積があり、国民もそれを内面化している。だから、なんだかんで公共性が担保されている。

ようやっと原稿に着手できる気持ちになってきた。人生つらぽよ。

嫉妬って言葉や行動の背後に隠れていて、自分でも気づかないことが多いからほんとやっかい。大学とか学校とか会社とか小さな社会集団(準拠集団)のなかにいると、それが増幅されるから、やはり外に出ないとダメだなと思う。社会的ボジションとか知名とか欲望の対象がひとつだけだと、それが叶えられなかったときに攻撃性に転じる。

ぼくも、批評家は医者みたいなもんだと思っている。クリティックとクリニック(ドゥルーズ)。

「みんな生活に不安を抱えている。」
師匠の言葉だけど、そうだよね。

@tenjuu99 そうなんですょ! 蜘蛛と箒でのレクチャーがきっかけでぼくが書くことに

@tenjuu99 10月ごろ渾身のレビューが公開されるはず……

@tenjuu99 いや、今回はじめて言われたんですよ! たぶん顔を覚えられたからだろうと思われる……

資料集めにムサビに来ているけど、卒業生の図書館利用を改善してほしい。地下ライブラリーも使えないし、しかも卒業生だけ16時半まではないよ……!

もうひとつ。転属になったあとようやく家族のもとに帰れるのにもかかわらず、良心の呵責に駆られて吐いているようにみえるが、それとラストシーンにおける未来(現在)のアウシュヴィッツとヘスの嘔吐のモンタージュをつなげて考えると、過去とは、もはや取り返しのつかない出来事であり、そうした未来の博物館になったアウシュヴィッツの姿を一瞬垣間見たことで、ヘスは嘔吐してしまう、そのように解釈しうるだろう。そしてそこに、ガザを無視しつづける現在のぼくらの状況に対する反省的な視点が重ねられる。未来を見ろ、そして現在起こっている出来事は、取り返しのつかない出来事なのだ、と。

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