『現代詩手帖5月号 特集パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く」読んでる。しんどい本で、少しずつしか読めないんだけど、「技巧の講義はクソどうでもいい、私の仲間が死んでいる」というヌール・ヒンディさんの詩を読んで、ずっと朝から「表現」ということを考えてる。
「受け取られるために」整形された言葉、というのは、極限状態の人たちが、余裕のある側に「合わせた」言葉を選び、表現し、「それでようやく受け取られる」ということだし、その定形をして、なお受け取られないということでもあって。
訴えているのに、聞かれない言葉があるということでもある。
#fedibird #読書 #FreePalestine
BT。アイドルの人は基本的に生き残りをかけて期待された通りのコメントをするわけなのでまあそうなるのだろうけれど、問題は、「米国の大学での衝突が政治を動かすかどうか疑問って、実際それなりに大統領選にも影響を及ぼさずにはおかないだろうし、そう考えて各党派ともこの衝突をどう自陣営に有利に使うか(或いは他陣営に有利に使わせないか)を考えてるし、そんなのちょっと米国発のニュースを見れば死ぬほどみんなが議論してるわけで、そもそもその疑問がかなり的外れでしょ」と言う前提の部分を飛ばしたまま、こういう形でその発言を拡散するメディアがあることだろうと思う。
あのアカウント、スレッズにもいたのか。あんま使わないけど予防ブロックしてこよう…
北海道・50代女性と飲みに行きたい🍻
(引用)
若い頃は「親切にされているのか?」と思って受け入れていましたが、歳を重ねて、自分より浅い知識や愚かな考えを得意げに話す年長男性の相手をするのがばかばかしくなりました。
そのような人たちに対しても礼儀正しくいなければならない、という教育や社会的圧力を受けてきたことが、今となっては大変悔しいです。(北海道・50代女性=自分がされたことがある)
https://withnews.jp/article/f0240505002qq000000000000000W00110101qq000026879A
この前、よその部署の先輩と定額減税について話していて「面倒くせえー、岸田めー」って話の流れで先輩が「安倍さんの頃は良かったよねー」って言って、おおおおお試される瞬間キタ!と思いながら「それもどうかと思うよー」「そうかなー?」「そうだよー」ってとりあえず流した。
最近身の回りで増えてきた、ゆるふわ自民や安倍支持層や政治に関心がなかった層が「岸田は批判する」現象。ここをどうやったら接続や展開ができるのかってここんとこずっと考えてる。ここに来て初めて政治に批判的な視点を持ったという人との会話のチャンネルをぶった切ってはもったいないと思ってしまう。
上記プロジェクトの研究発表会があるそうです。⬇
第2回研究発表集会「不可視化への抵抗:〈世系と職業に基づく差別〉と〈日本美術史〉に関する研究」
主催:不可視化への抵抗
[ウェブサイト:https://www.odawaranodoka.com/teikou]
助成:サントリー文化財団
開催日時:2024年5月6日(月・祝日)13時30分〜16時
[※入場は13時15分から可能です]
場所:国立西洋美術館 講堂[※展覧会チケットは不要です]
定員:100人 対面のみ
参加費:無料
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfxxzjKI_2Xv1gZBjOSKriAZG0mIZFpaeyVTB8lxh_NBzB9IA/viewform
皆さん、色々とやられているんだな。
「不可視化への抵抗」
1995年に国連の「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」(「人種差別撤廃条約」)に加入した日本には、長きにわたり、部落差別をはじめアイヌ民族や琉球・沖縄、在日コリアンの人びとに対する差別の問題がありました。帝国主義下の天皇を中心とした新たな身分制度を背景に編纂された「日本美術史」には、差別を抱えさせられた地域や人びとの記述が少なく、「日本をめぐるフィクション」として捉えうるものです。
(引用)
https://www.odawaranodoka.com/teikou
こちら本日締め切りとのことー
QT: https://fedibird.com/@satomuch/112352776324833736 [参照]
スナック社会科というトークイベントを不定期で開催しています。