↓星野智幸氏は私と同い年。つまり私も60近いわけだが、私はいかにも私の同世代だな、と思う。私より少し上の世代だが合田正人氏が鈴木道彦ゼミの思い出を書いている。
「最近もよく似た状況が繰り広げられているように感じますが、お前は何も分かっていない、そんなことも知らないのか、機動隊との闘いでどうした、俺のせいで何人死んだと思っているんだとか言って、生き方を私のような後輩に教え込もうとする、非常に悪質な状況があった。」(『道の手帳 メルロ=ポンティ』河出書房新社、2010)
私の世代っていうのは、高大が80年代。つまり自分はデモもストも見たことすらないくせに、とにかくこういうもの言いの口真似が好き。左翼をディスれば賢いと思っているが「左翼」は終わったものと思ってて学ぶ必要ないと思っているから何の知識もない。なのでディスりもワンパターン(正義の暴走で危険ダー!内ゲバ!浅間山荘!ポルポト!とか)。結局左翼というのは「見たことがない怖いもの」。で、実際は今更なのだが「アベ政治は流石にまずい」とか言って逆張りの逆張りみたいな感じで恐る恐る勇気を持って「リベラル」になってみたものの「やっぱりこれ以上サヨクになってしまったら危ないと思います!」みたいな感じなのでは……。
例のエッセーの元となった星野智幸氏の2013年の朝日への寄稿「「宗教国家」日本」を読んでみたら、大体私が書いたとおりだったかな。というかやはり私の世代ってダメすぎるな、と(人のことは言えないが)恥ずかしくなった。
"若いころはどの友人も政治に無関心で、リベラルでも保守的でもなかったことだ。友人だけではない。私が若かった1980年代は、誰も政治の話などしなかった。政治や社会のことを話題にするような人間は、冷たい目で見られ、「ネクラ」として退けられた。新聞を読むのが好きだった私は、それなりに政治に関心を持っていたけれど、話のできる相手はいなかった。選挙に行くのも、友人の中で私だけだった。
学生時代から社会人にかけての二十歳前後には、そんな自分は少数派だと自覚していた。恥ずかしい話だが、大学入学時には高野悦子「二十歳の原点」を読んで、自分もこんな学生運動をするんだろうか、と時代錯誤に想像し、実際に声をかけてきたセクトの人と話してみたこともある。しかし、その会話に惹(ひ)かれるところは何もなく、自分の思い描いていた学生運動のイメージは幻想であることを知った。"
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