都合良く使われる“演技論”は疑ってかかるべき ろう者役を聴者が演じる意味を考えたいhttps://www.moviecollection.jp/news/180817/
『最後の三角形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』(谷垣暁美 編訳 東京創元社)、ミステリー寄り、ホラー寄り、SF寄り――でも間違いなくジェフリー・フォードな幻想短編が14編収録されていて、2冊分くらいの読み応えがあり堪能しました。噂に聞いていた「アイスクリーム帝国」がともかく素晴らしい。共感覚からこういう話を思いつけるとは。親しくなった隣人からあるものを託される「マルシュージアンのゾンビ」にもびっくりした。
「「いろんな生き方をしている人がいることを理解しましょう」というのは全く無意味だ。
例えば「同性を好きになることを理解しましょう」ということを理解できない人はできないし、体験できない人はできない。
ただ、そういう生き方に対し、侮蔑的なことを言ってはいけないとか、差別的な処遇をしてはいけない。こうした基本理念に立ち返って理解を進めていかないと、今までと同じことの繰り返しになる。
日本の議論を見ていると「差別が起きることがよくないので、差別を無くそう」という方向に行ってしまう。その考え方は差別を理解していない。差別は起きるし、意図しないところで差別的な状況を作り出してしまうことはあり得る。それを想定した制度を作る必要がある。」
とつぜん『地獄先生ぬ〜べ〜』の話をするんですが、速魚と八百比丘尼のエピソードがめちゃくちゃ好きだった。八百比丘尼が不老不死から解放されるには速魚の生き肝を食べる必要があり……という話で、色々あって八百比丘尼はけっきょく速魚の肝を食べる事ができずあと数百年はそのままだねってオチなんですが、速魚と八百比丘尼の数百年を想像していた。数百年後、あなたを食べる予定なのだという世界観。やばい。
八百比丘尼また登場してくれないかなと期待してたけどそのエピソード限りのキャラでしたね……
人魚肉ソーセージ
9月の京都シネマさんめちゃくちゃ格好いいラインナップ
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去年の年末からずっと「人と喋りたくない」期で、9月なので、もうだいたい一年間くらい「人と喋りたくない」かんじなのかわたしは。大丈夫なのか。