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「移動のしやすさ」(モビリティ)と「利用のしやすさ」(アクセシビリティ)がニアイコールになっているひとにとっては、自動車中心の街が住みやすい。ところが、この両者は必ずしもニアイコールにならない。アクセシビリティを優先すると、公共交通中心の街のほうが有利と言える。

そろそろ松本に「観光」に出かけるのも飽きてきたぞ。軽い二拠点生活みたいになるのかしら。
というわけで、松本平での「用事」を募集します。いまのところ期限なし。
…と書いたのが10月7日。そのあと、おとといから昨日まで上田・長野に行ってた。ゲストハウスに泊まり、近所のスーパーで総菜とパックご飯を購入。翌朝はそのスーパーで昼食のおにぎりを購入、マスクが安かったのでついでに購入。長野電鉄長野駅の改札口前で販売していたぶなしめじがボリュームの割に安かったのでこれも購入。大満足でありました。そうか、あのときのわたしに足りなかったのは「生活」…

無印良品に行くにしても、ショッピングモールの中の無印に行くのと、東武動物公園駅前の無印に行くのとではなんか違うんだよなぁ。ショッピングモールはマーケットが街を覆いつくす勢いがあるのに対し、東武動物公園駅前の無印は街のなかのひとつの店、という感で。

恋愛はしたい。したいんだけど、今してもどうしても張りぼて感がある。10代・20代ならではの恋愛というものを体験してみたかったんだけど、もうずいぶん経ってしまって。40代の恋愛というのが「日経おとなのOFF」に描かれるようなあれだと思うとやる気はしない。20代のひとを恋愛対象にして、仮に恋愛が成立したとしても、70年万博のパビリオンを模した張りぼてしかない部屋で思い出に浸るだけに過ぎないのはよくわかっているのです。

劇団夜学バーの演目にはあれこれいいたいことはあれど、ともあれ、若いエネルギーで演劇に取り組めるのは素直にまぶしい。
40歳過ぎて同じことをやっていたら「ちゃんとしていない」と言われちゃうもん。「ちゃんとしていない」ことが必ずしも悪いとは言わないけれど、ロールモデルは少ない。ドラマ「カルテット」が「ちゃんとしていない大人」のロールモデルを描いてくれたけど。

ショッピングモールはどこまで行ってもマーケットで、街にはなりえない。マーケットを歩くのと街を歩くのは違う。

これ、ペットボトルに関しては素直にアルミ缶に置き換えたほうが早いのでは。そういえばアルミ缶飲料って最近あまりみないんだけど。JRの車内販売でアルミ缶入りの水を買って逆に驚く。
「カーブとシュート」「レンジでチン」 最新のプラスチック再生技術
asahi.com/articles/ASSB43TJWSB

池袋は比較的大きなオープンスペースがあるから今まで大きな混乱にならなかったと推測するが、今年はどうなるか。
「日本は路上で飲んでも怒られない」ハロウィーン対策に悩む自治体
asahi.com/articles/ASSB73PGGSB

ふだん家にいるときはとりたてて生産も消費もしてないはずだが、いったい何して過ごしているんだろう。今月初めに松本に行った時に、「消費者」としてしかいられない自分を持て余し、もう松本に行くのはいいやと思ったのは一体何だったのだろう。自宅にいるときにそんな感覚は抱かないのに。なぜだ。自宅にいるときに無意識にしていた生産も消費もしない過ごし方を、松本で忘れたというのか。

長野に行ってました。
現地のひとと話していると、地元に遊ぶ場所がないとの若者の声があるとのこと。ううむ。東京郊外のわが町と同じだ。長野は電車賃が高いからなお悪いか。

物流のためには国道16号は絶対に必要なんだけど、しかしまちの道が国道16号のように車をひたすら流す道になるのは嫌で。車利用を前提としたまちで、目的地と目的地を車で移動するだけひとばかりでは、マーケット(市)はできても街はできない。
で、そんな気持ちを深堀りすると、合目的的な空間がとにかく嫌だ、ということに行き着く。道にいるときはどこかからどこかに移動するひと、ショッピングモールを歩くときは買い物するひと、と、単一の目的を規定されがち。それがなんか嫌だ。だからわたしは広場や公園が好きだ。

参考:鈴木智之(2018)『不在の場所―春日部にみる「町」と「道」のつながり/つながらなさ』、塚田修一、 西田善行編著「国道16号線スタディーズ : 二〇〇〇年代の郊外とロードサイドを読む」青弓社所収
ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100

アメリカ精神医学会のDSM-5は、心的外傷後ストレス障害の診断基準で、電子メディア、テレビ、写真、映画で外傷的出来事に曝露されることとそれ以外の場合を明確に分けている。電子メディアやテレビなどは「観客」であることをはっきりと認識する装置がたくさんあるからこの基準はリーズナブルだ。
ひるがえって、演劇はどうだろうか。DSM-5のPTSD診断基準は演劇による外傷的出来事への曝露を除外していない。これがどういう意味を持つかはよくよく考えたほうがいい。
「あれは演劇だから」という言い訳は通用しないかも知れないのだ。

とりわけ若年者で、急性アルコール中毒が軽く見られているのが気になる。

「中等度から重度の中毒では嘔吐がよくみられるが,嘔吐は一般に意識障害とともに起こるため,誤嚥が重大なリスクとなる。」だってさ。(MSDマニュアルプロフェッショナル版、「アルコール中毒および離脱」)
アルコール飲ませて嘔吐するのは極めて危険な状況にあるのだから、救急要請をしなければダメでしょうが。

アートの名のもとに差別や暴力をすんなってのがわからない人間が結構いるらしいんだよな。いわゆる「ヘアヌード」写真を撮影する写真家はほとんどが男性でモデルはほとんどが女性。この差別構造を正当化することはできんぞ。

@jiroriropom
まさにそう思いました。しかし、数万件の情報公開請求が押し寄せて所管課の職員が何人か過労死してもWeb公開は絶対にせず、逆に情報公開請求に手数料取り始めたりしそう。請求が来たら出さざるを得ないが、なるべくなら出さずに済ませたいイヤーな魂胆が感じられます。

図書館の影響もあるんだろうが、それ以上に車社会化の方が書店を直撃しているのではないかしら。車社会化でまちが寂れたら書店もやっていけない。寂れたまちの寂れた書店よりもAmazonを選ぶのは当然。経産省だから車社会化の問題は取り上げにくかったんだろうが。
そもそも、書店さえないまちで図書館がどれだけ栄えているのか。
書店減少に歯止めをかけよ! 経産省が課題を集約 対応策を検討へ
asahi.com/articles/ASSB72DBJSB

神戸市営地下鉄西神・山手線三宮駅の広告。「いのちの電話」「結核健診」「鳥獣相談ダイヤル」の告知がされている。公営交通だからこそできること。

ひとの移動が、ひたすら点と点の移動になってしまっているのが車社会の最大の問題だ。線にも面にもなってない。

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