ヘレディタリーが特にそうだったんだけど、なんとなく 監督が母親に向けている矢印と似たような違うような…なじみ深い矢印を抱いていて、映画にもそういう要素が露骨に反映されてるので 見るとなんだか安心するんだよね…
ボーはおそれている感想 ネタバレ
今作で悲惨…と思ったの、脇役の人々のほうだったかも
ボーを殺す…というよりは脅して動かすためだけに捨て駒にされる、戦争のトラウマを負ったジーヴスと ボーの母親→両親からの圧により協力させられて(想像)命を絶ってしまう?トニ、自分から望んだという乳母と、何もかも闇の中の入れ墨のある人
映画の中の描写に信頼できない部分があるので、本当のところはわからないけど
医師も母のポスターに写真が載ってたからいろんな活用のされ方があるんだろうな
目的が混濁する企業 的な
家族という枠組みが一番目立って見えて、家族内の第三者では踏み込み難い、互いに不可分になってしまっているような混沌とした関係から生まれるどうにもならなさ がベースにある気はしつつ(宗教もあるのだろうけど、私は知識が足りなくて全然拾えなかった)
家族の外の社会に繋がっている部分での絶望的などうにもならなさ(著名実業家の権力と、従業員の命の軽そうな感じと、御社の製品はどういう薬だったんですか…?みたいなとことか)に視界が広がっていく感じがあって、そういう広がりはミッドサマーとかヘレディタリーではあまり感じられなかったものなのでよかった
それぞれの地獄があるしそれぞれのあがきがある
ボーはおそれている感想 ネタバレ/別作品への言及あり
トゥルーマン・ショー+ヘレディタリー応用編 みたいな印象
序盤のボーの家(アパート?)のエレベーターのガタり具合とか家の周りの様子、なんだか懐かしみを感じた。一部?は作られた環境なのだろうけど
ほぼ全ての登場人物が直接的にしろ間接的にしろ 母親の手の上で動かされて それぞれの苦しみを根深く抱いていたな…(主にロジャー家の面々)
演劇のシーンは視覚的な綺麗さがありつつ、見開いた目とぽかんと開いた口のお面が印象深かった あの劇中に登場したお面の表情好きだな
ボーにもあのようなみちを辿れる可能性もあった のか
屋根裏とそこに続く階段のシーンはヘレディタリーのことを思い出してニコニコしていた
最後 洞窟に入っていった中の広間で裁定を受け、結局そこからは出られず沈んでしまうの、現実的なラストだったな…
ボーは ボーの中に根を張った母親の中から出られなかったということかな
観客(映画の観客?)がズラッと並んでいて、最後にさっさと出ていくところはリアルの観客に投げ返してくる演出の気がしつつ 中の人つながりでグラディエーターのラストを思い起こしてしまった