福島ローカルテレビで西田敏行さん追悼のコーナーを少し流していて、原発事故直後のピリピリした表情で「がんばろー!」と言っている姿などが流れていたのですが、この映像をただの「いい人」ストーリーで流すのは、ちょっと時期的にさすがに早すぎないか、と思いました。
私は、原発事故の頃はテレビを見ていなかったので(事故から5年後にようやくテレビを見る環境になった)、当時、西田さんがどんなことをしていたのか、実はほとんどまったく知りませんでしたので、今回、当時の雰囲気をテレビで初めて見ました。
当時の佐藤県知事を筆頭に男性ばかりがハッピを着て腕を突き上げて「福島県産品がんばろー!」と2011年5月頃にやっているのは、当時の混乱状況を考えれば、原発事故に動転し、ショック状態のパニックの一種としか思えません。
なぜなら、当時は、食品の汚染状況や移行もどの程度のものになるのか見えておらず、そこで「安全だ」と断定する方が、科学的には正しくない態度だからです。
安全性に確信が持てるようになってきたのは、早くても2013年、2014年頃と考えるのが妥当です。
それ以前の時期の食べて応援運動を、2015年以降の風評払拭活動と同列に理解して並べるのは、事実認識に大きな間違いがあるといえます。
この情報を知っていたら、私の人生はたぶん違っていただろうな、と後から思うことはいくつかあるのですが、2011年5月当時の福島県知事と西田敏行さんも一緒になって行っていた福島産の農産物をみんなで食べて応援の映像は、当時、これをテレビで見ていたら、私は今につながる活動をしていなかったかもしれない、と思うもののひとつでした。
あの当時は、福島の農家の人自身も、安全性に確信が持てず、本当に安全でないものを出荷していいのか、と逡巡していた時期でした。
本当に安全とわかったものしか生産者として出荷したくない。だから、検査が必要だし、検査して安全なものだけを出荷したい。そういう方がとても多くいました。
そして、福島県のやみくもな安全アピールに対しては、生産者含めて批判的な人が県内にもとても多かったです。
福島県に対する信頼は、当時、県内でも非常に低いものでした。
あの時期の安全アピールの広告は決して褒められたものではない、というのは昨日も書きました。
それを美談のように報じて、歴史を改竄するのはやめていただきたいです。
報道の若い方たちも当時のことをご存知ないのだとは思いますが、福島県の当時の安全アピールは問題が多かった、ということは共通認識にすべきだと思います。 [参照]