判決に対して不当だと思ったら、デモをするというのは、これまでだって、性犯罪に限らず行われてきたことですし、なぜ性犯罪への判決へのデモだけ、ことさらに司法の独立を脅かすものであると騒がれるのかが、まず意味がわかりません。
フラワーデモのきっかけとなった複数の性犯罪の裁判の事実認定に見られるように、過去、日本の司法においての性犯罪の事実認定は、そのほとんどが女性である被害者にとって極めて不利なものとなっていました。
フラワーデモなどでようやく社会問題化して、裁判官などの司法の場でも性犯罪の被害者の置かれる心理状況についてなどの研修が行われるようになったと、いつか新聞記事で読みましたが、まだ行き渡っておらず、すべての判例で性被害者に対して、誤解に満ちた、加害者側にとって都合の良い事実認定がなされているのではないか、ということが怒りが噴出した背景にあるのであって、ちょっと目についた判決ニュースが自分の期待に反してムカついたからデモしてやるぜ、というような簡単な話ではないと思います。
私は、先日書いたように、署名運動もほとんどの場合、自分が署名する意味を考えすぎて協力することはないですし、人混みが苦手なのでデモに参加したこともありませんし、田舎に暮らしているので今後も協力することはないと思いますが、他人の死に物狂いの抗議に対して揶揄を入れられるを見るのは非常に不愉快ですし、そんなことをするなら、それはそれでみっともない言い訳のような御託ではなく、きちんと納得できる論拠を示していただきたいと思います。