滋賀医科大学の性的暴行事件の逆転無罪判決、多くの女性は判決に見られる男性目線のロジックでの事実認定に激怒しているのに対して、判決文の法的解釈を延々としている男性知識人が多く見られ、まったくかみあっていない感です。

「君たちは冷静さを失って、客観的な認識ができなくなっているんだよ。僕たちが解釈して教えてあげるよ」というウエメセな態度が、これまた日本社会のいつもあるあるで、さらにまたうんざり感を覚えます。

判決に対して不当だと思ったら、デモをするというのは、これまでだって、性犯罪に限らず行われてきたことですし、なぜ性犯罪への判決へのデモだけ、ことさらに司法の独立を脅かすものであると騒がれるのかが、まず意味がわかりません。

フラワーデモのきっかけとなった複数の性犯罪の裁判の事実認定に見られるように、過去、日本の司法においての性犯罪の事実認定は、そのほとんどが女性である被害者にとって極めて不利なものとなっていました。

フラワーデモなどでようやく社会問題化して、裁判官などの司法の場でも性犯罪の被害者の置かれる心理状況についてなどの研修が行われるようになったと、いつか新聞記事で読みましたが、まだ行き渡っておらず、すべての判例で性被害者に対して、誤解に満ちた、加害者側にとって都合の良い事実認定がなされているのではないか、ということが怒りが噴出した背景にあるのであって、ちょっと目についた判決ニュースが自分の期待に反してムカついたからデモしてやるぜ、というような簡単な話ではないと思います。

こういう女性の権利運動へのリアクションを見ていると、日本がジェンダー後進国であり続ける理由がよくわかります。

冗談抜きで、日本より女性が抑圧されているのは、戒律が厳しいイスラム諸国とか、プーチンロシア帝国くらいでしょう。イスラムでも、戒律がそこまで厳しくない国では、日本よりはマシなのではと思います。

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日本の裁判の無罪率は極めて低い中、ここで無罪判決が出た意味は重い(そのことと今回の判決が妥当かどうかはなんの関係もなく、なんの論証にもなっていない)とか、現行の法令を厳密に解釈すればこういう解釈は妥当なんだ(その法令そのものが妥当であるかどうかは、また別問題で、法令自体の改正を求める、という主張も十分に可能です)とか、いちいち論理的な根拠がおかしい主張が堂々となされていて、その論理構成力でよく自己流の法令の解説を他人にする気になるものだ、と逆に感心してしまいます。

私は、先日書いたように、署名運動もほとんどの場合、自分が署名する意味を考えすぎて協力することはないですし、人混みが苦手なのでデモに参加したこともありませんし、田舎に暮らしているので今後も協力することはないと思いますが、他人の死に物狂いの抗議に対して揶揄を入れられるを見るのは非常に不愉快ですし、そんなことをするなら、それはそれでみっともない言い訳のような御託ではなく、きちんと納得できる論拠を示していただきたいと思います。

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