イスラエルの一連の軍事行動のタイムラインについた記者さんのコメント、とても興味深かったです。

(イスラエルの人と)「話していると、よくこういうロジックで自分たちを正当化します。
「あなたたちが私たちの立場だったら、もっとひどいことをする。それに比べれば、私たちはいかに素晴らしいか」

高久潤さんの 朝日新聞デジタル

【解説】イスラエルのヒズボラへの攻撃のレベルがあがっています。ヒズボラが拠点を置くレバノン南部を中心にしたイスラエルの空爆で、死... asahi.com/articles/ASS93535RS9

それについたさらなるコメントもなるほどと思いました。

「イスラエルでは、幼少期から教育やメディア、その他の場で、迫害されてきた歴史を徹底的に教えられ、被害者意識が刷り込まれていきます。自分たちがどんなに攻撃をしていても、被害者は自分たちなのだという意識は持ち続けています。」

高橋真樹さんの 朝日新聞デジタル

【視点】高久記者のコメントにある「(イスラエル軍や政府の説明は)攻撃で殺害される側にとってはさして意味がありません」「イスラエル... asahi.com/articles/ASS93535RS9

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私が、福島での教育で危惧しているのもこの点です。よりによって、伝承館の事業で、災害を伝える名目で、子供達に被害者意識を刷り込んでいるとしか思えない成果物を目にしました。

イスラエルのように、被害者意識を拗らせた人間を、福島でそだてようとしているのか、と憤りを感じます。

福島県庁絡みの復興事業は、万事が万事こうで、子供を都合よく、自分たちのアクセサリーかおもちゃか、宣伝材料として使い倒すんです。
(伝承館は、イノベ機構ですが、ほぼ県庁だと思っています。)

子供の将来をなんだとおもっているのか、と思います。

西日本の「人権教育」は評判が悪いですが、福島県庁や県政周辺の人権意識のなさを見ると、人権教育は捨てたものではなかったのかもしれない、と思うようになっています。

「人権」と書くと難しく感じられるかもしれませんが、私が言っているのは、以下のようなごくかんたんなことです。

「子供には子供の人生がある」
「子供の自主性を育むことが教育」
「人は住みたいところに住んでもいい」
「行政は、公共業務を担う組織ではあるが、住民の(言論)統制を行う権限はない」

こうした、びっくりするくらい基本的なことを、平気で無視する振る舞いが横行し、地方紙の論説委員が書いてしまうところを見て、唖然としています。

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