私はこの記事に紹介されるような、先鋭化した「反風評」の動きには批判的なのですが、こうした主張を強く行う人には、事故時に福島県外にいた人が多いと感じています。
ここでインタビューを受けている福島県議も同じパターンで、事故の際、首都圏にいた福島県出身の人が、周囲の心無い声に晒されて、トラウマ化しているのではないかという印象を強く持っています。
「震災後、航空自衛官として都内にいた際、あちこちから「福島にはもう人が住めない」「皆がんになっている」という声が聞こえてきた。」
Fukushima water問題、大半のメディアが“無視”。議会で訴えた福島県議が語る「閉ざされた言論空間」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8826d9675a2d5f82df12119cb2cbde2f6810bd91?page=1
もうひとりのTwitterで名を馳せた反風評ライターの男性も、事故時は関東圏の別の都市におり、福島に戻ってきたのは、事故から1年ほど経ってからだとプロフに以前書いているのを見ました。
この方達の主張を見ていると、いったいなにに対してそこまで怒っているのか、怪訝に思うことがあります。
なぜなら、現在においては、もう何年も前から、福島に対する誹謗中傷的な声は、よほど探しにいかなければ見つけるのが難しいくらいには目立たなくなっているからです。(私は探しにいかないので、ほぼまったく見ることはありません。)
けれど、彼らの主張のなかでは、いま現在でも、福島に対する悪意がありとあらゆるところに満ちていて、常にそうした声に暴露されていると言っているように見えます。
政治的なポーズとしてそう演出している可能性もありますが、ただ、それよりもむしろ、トラウマ記憶に特徴的な、被傷時で時間がとまっており、些細なきっかけを目にしてその記憶が反復再生産されているような気がしています。
復興予算や利権が流れ込んでくるようになって、次々と目の前にいる知人の人柄が1日で豹変するなどの経験の方が、はるかに衝撃的でしたし、トラウマになりました。
被災地のなかにいる方が、同じ辛さを共有できる仲間がいるので、物理的にはしんどくても、精神的には楽、ということも大きいと思います。
これは、被災経験をした人はみな同じではないかと思います。
特に被災直後は、どんなふうな経験をしたかをわかちあうことで、心が慰められるということは多くて、被災地外にいくと、その機会を逸してしまうことも大きいと思います。
心のケアは、被災地内もそうですが、被災地外にいる被災者にもっと注意を払わなくてはいけなかったのではないか、と思っています。