「沖縄が戦争の被害者にも加害者にもならないように」という一文を見つけた。これはごもっとも。

ただ、被害の真っ只中にいる人びとの抵抗運動の場で加害の面を想起させる文言を使った理由は何か、そして誰の提案だろう。

以前「『本土』で生まれた赤ちゃんは生まれた瞬間沖縄に対し加害者なのか」と聞かれた。このような質問はとても多い。

色んな意見があるだろうけど私は生まれたての赤ちゃんに加害性はないと思う。

ただ、その子が育っていく過程で近くにいる大人から沖縄を蔑視するような言動を吸収しある日それらを放出したとき、日本の国民として差別を再生産した加害性と差別をなくす義務が同時にうまれると考える。

このように全ての人は何らかの加害と被害を併せ持ち共生している。だからこそ冒頭の「加害者にならないように」の一文がわざわざ沖縄人が主催する集会の場においてなぜ使われたのかという疑問が湧く。

黒人運動の中で「加害の側面も忘れずに」と白人が発言したら反発があるでしょう。今の沖縄では日本人が沖縄の人に罪悪感を抱かせるような言葉を平気で放つ。あらゆる場面に忍び込む「加害者でもある」の文字。

「加害の反省」は内部から自発的に議論しないと意味がない。
日本人は沖縄人の加害性を指摘するよりもまず日本の加害を正しく認識する事から。

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「沖縄が戦争の被害者にも加害者にもならないように」という一文で(沖縄の人間として)反射的に思い浮かぶ事の一つは、ベトナム戦争の時代だったりします。
軍と共存するということは、どういう事か。
自衛隊と軍との距離ですら、今やだれも気にしてない様に見える時代ですが。

From:
fedibird.com/@ryukyuancoin/111 [参照]

沖縄戦の記憶のある者が、沖縄の地から戦闘機が飛び立つ風景を見て来たし、殺しに行くことになる者と縁を結ぶ人達もいましたね。

「日本」で平和とされる時代。

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