ジャニー喜多川を主軸に置いて『人間の証明』をリメイクしたらいいのではないかしら。
そういう企画が日本では上がらないよね。
韓国映画だと出てきそうな気がするのだけど。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1673668722697859073
「手打ち」は大事な行動なんですよ。“大人”なんだから、適切なときに適切に手打ちする、それはとても大事なこと。
しかし、「誰が」間に入っての手打ちだったんだろうなあ、これは。
そして。
だったら加賀さんとも「手打ち」できるよね。間に入ってくれる人いくらでいるだろうに。
「誰と(いつ、誰が間に入って)手打ちするか」は、きわめて政治的色彩の濃い選択であります。
ふーん( ¯꒳¯ )……というね。
colaboにトランス「女の子」が救けを求めてきたらどうするのか、思考実験としてはずっとあった話で、これまでそれをやる輩がいなかったのが不思議なくらいだった。
そろそろ「踏み絵」が現れるだろう。https://twitter.com/kuuchan072/status/1671292178088480769
あの弁護団みたら「受容」しちゃうのかな。
https://jp.wsj.com/articles/the-climate-crusaders-are-coming-for-electric-cars-too-b1af1f18
EVが環境負荷が軽いとかまったくの幻想だという、「当たり前の話」に直面したとき、「もっとお前たちの生活を緊縮させろ」というのが果たして“左派”なのだろうか。
とにかく超高効率で化石燃料を適切に使う。
これしかないじゃん。
https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/sendayuki/comments/16760028683801.338d.00039
相変わらず危なっかしい物言いだけど、定性的には100パーセント同意する。
毎日のオフレコ破りがどうしたこうしたは、報じた毎日はよくやったと思うよ。
ただ。
1時間もしないうちに他社も慌てて追いかけ始めたのは、「非東大経産官僚で総理にいちばん近い」ヤツをこの際葬ってしまえという財務省出身秘書官の焚き付けがあったんやろうなあ、とは思う。実は最初の「オフレコ破り」だって“暗闘”の結果かもしれないと思っている。
オフレコ破りが是か非かみたいな話ですゴチャゴチャ「正論」めいたことを言ってる人たちは、正直naiveに過ぎるんじゃありませんかね。
穿って見ることを目的化するのは間違ってるけど、常に光の当て方を考えたり、「この石を退けたらダンゴムシがうじゃうじゃおるんやろうなあ」と推測しながらものを見るのとか、当たり前のことじゃないんですかね。
いまのリベラル界隈は
「ダンゴムシがいることを考えるのがダンゴムシ差別」
みたいなアホな妄執を言った方が勝ち(何が勝ったのか知らんけど)ってな感じになってますわね。
大阪府知事選、あほなリベラル(左派)界隈が「辰巳さんが出てるのに谷口さんが出たら票が割れる」とか案の定喚いている。
まとまっても勝たれへんって。
むしろ谷口さんは大阪市長に北野さんを就けるための積極的捨て石になりにいってるんだよ。
北野さんのプロフィールと公式サイトみたけど、大石晃子の上位互換みたいな経歴で、しかもウヨくない。
むしろ谷口さんと辰巳さんで吉村挟撃して、そのうしろで大阪市長を維新から奪還するのが、今回の最大のミッションだろう。
大阪自民党も府議団は半分維新の子分みたいになっていて、頼れるのは大阪市議団くらい。
かなりよく練られた策だよこれは。
また「割れる」とかアホなこと言ってないで、ガチで大阪市長選で北野さんが勝てるためになにが自分にできるか考えろ、動け。
最近こういう現実を知った若い人が多いんだろうが、左派側が風俗産業に篭絡されているのは今に始まった話ではなく、例えば数十年前に週刊金曜日誌上を中心にして起きた「売る売らないは私が決める」論争などがその典型で、自己決定権の尊重という美名のもとに、拒否権を持てない人や選択肢を奪われている人らの不可視化に左派側も一緒になって加担してきたのだが、その延長線上に今がある。
あのときの論争の仕掛けた方にいた中心人物は歳も重ねたせいか、今は全面には出てきていないが、彼の息がかかった子分格の連中が今日も元気にネット上を闊歩している。そんな彼らは保守の立場として反差別運動などにも参加していたので、左派側が判断誤らせて
吸い寄せられていった側面もあるんだろうが、流石にそろそろそうした構造に気がついてもいいだろう。事実、女性たちはそこに気が付き始めている。なのに反差別運動のおっかなさを左派側から指摘していた人ですら、女性の権利の話になると、あっけなく転げてしまう。この国の抱えている問題の多くは、結局は我々オッサンが引き起こしているんだなと認識するよりほかない。「結局最後に残るのは女性差別」、という先人の言葉が重く伸し掛かる。
このハンネ使い始めて今年でもう20年になるのね。びっくりだわ。