マンガ、読書、短歌・和歌が好き。更級日記をこよなく愛する。
脚さわってみると冷たい
東直子さんと穂村弘さんの『回転ドアは、順番に』を読んでいて、恋人でない気の合う男女ってよいなぁと思った。正確にいうと、気の合うというよりは言葉の相性が合うというのか。ツイッターの藤村シシンさんと黒川さんとかもそうだな。
弟夫婦から千年女優勧められてるので見に行こうかと思ってるけど、行けるか分からない。
やらなきゃいけないこと一人でこまごまやってると気持ちが疲れてくるな
NHKラジオの聞き逃し配信で、昔のNHKラジオのアナウンサーにインタビューを受ける坂口安吾の肉声を聞いた。照れ隠しのような早口が、アニメのあしたのジョーみたいだった。
なんか今日の雨は寒ざむしい。昨日までも別に暖かくはなかったけど、なにとなく春の気配を感じていたのに。
共感覚持ってる人のような明確なものじゃないと思うんだけど、文字や語によって色のイメージが何となくあって、私にとって原田と長岡はどちらも同じような色のイメージ(くすんだ赤)だと気づいた。それで人の名前を間違えそうになった。
1日5分前後、夕食後に筋トレやストレッチをするのを今週から始めていて1日休んだ以外は続いてるんだけど、しばらくしておなかが減ってきて夜中近くに何かしら食べてしまう
何か疲れたな
手紙(仕事上の)書かなきゃなーと思いながら、パソコンの前でしばしぼーっとしている
なんか仕事してる途中にふと虚しくなるのなんなんかな。
壮大にいいこと、上手いことを言おうとして感動うんぬん持ち出してかえってつまらないことを言ってしまっている。人の鑑賞の邪魔をしてはいけないとだけ言えばいいところを。
映画の上映前に流れる映像、映画泥棒はそんなに気にならない。前より短くなったし(たまに昔のが懐かしい)。それより「感動は壊れやすいから」の方が嫌い。“日本人”サポーターの行動が“世界”を感動させたという強調のしかたがあまり好きでないし、そこからマナーが大事とつながるのは分かるとして、「感動は壊れやすい」と言うのは余計では?人の行動や映画作品が引き起こす感動を勝手に過小評価するんじゃないよ。そりゃ鑑賞の邪魔されたら腹立つけど、感動が壊れてるわけじゃない。
竹西寛子の「式子内親王」読み終わった!
昔の和歌を鑑賞する時、自分が何となくこうだと思った意味と実際の訳は異なることがあり、本に書いてある訳や解説の方が通常正しいのだろうけど、自分の受け取った感じの方が好きだったということがある。
山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水(式子内親王)
この歌の良さを、竹西寛子さんが言葉を尽くして語っている。
竹西寛子の『式子内親王』、読み終えてないままになっていたのをまた読み始めた。続きではなく少し遡ったところから。
馬場あき子『鬼の研究』やっと一通り読み終えた。感想が難しいな。五章(終章の前の章)の「極限を生きた中世の鬼」の「黒塚」や六条御息所、山姥についての文章には著者の気魄を感じた。能が表現する人物の内面を言語化するという非常に難しいことをやっていて、私はそれを読みながら著者の言いたいことを何となく感じ取ることはできていると思うのだが、それを人に説明しろと言われてもできない。これらの能を見てみたいと思った。
外、出ようかな…
中学の頃からトットチャンネルの愛読者だったので(図書室にあった本を何度も借りた)、徹子さんのこと実際の芸能活動についてはあまり知らないけど活字のうえではわりとよく知っている。向田邦子のエッセイで、向田さんの留守電に徹子さんが9回くらい連続でおしゃべり吹き込んでトークショーみたいになってたというエピソードが好き。
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