アルコール依存症の本人や家族の体験談には、自分が依存症になって良かった、家族が依存症になって良かったというものがあります。
この頃はあまり聞かない話かもしれません。
たま猫は40年前ぐらいの東北の断酒会ではしばしば聞きました。
引きこもりの本人や家族の体験談や体験記ではあまりない発想のように思います。
たま猫の経験不足かもしれませんが。

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以前は断酒会でもAAでも(たとえ負け惜しみたっぷりでも)「アル中になって良かった」と言う人がいたものですが、昨今のAAは「依存症という精神疾患になった恨みをどこにぶつけていいのか分からない恨みでいっぱい」な人ばっかりになった気がします。


負け惜しみで「アルコール依存症になって良かった」と3年、5年言い続けていると、そういう結果になるのですが、そこまでしつけてくれるスポンサーが少なくなってしまいましたからにゃー。
ちなみにスポンサーとスポンシーの関係は神様と自分の関係と同じなので、主従関係(親子という比喩もある。)だと考えれば良いと思います。主従が嫌なら師匠と弟子。
いきなり神様の声が聞こえてもおかしな話だし、人の言うことがきけなくて神様の言うことがきけるわけはないし、ですにゃ。

ちょうど『諸相』の聖徳の章の「服従」を読んでいたところでした。

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