普通さ
を伝えるために例えばサムはコメディ映画とジム・キャリーが好きで、ダニーはカーレースとかとにかくスピード系のものが好きで、ゲルダはゴアとかゴス系が好きで進撃の巨人も気に入った様子だし、フランクには長年のボーイフレンドがいたし、ナディアは私と誕生日が二日違いで二人とも忘れっぽいから私たち似てるよねーっていつも話してるとか、まあそういうことを言ってもいいんだけど、でも本当の本当はそういうことすら別に問題ではないんだっていうことなんです。
そういう何が好きとか何が嫌いとか趣味とか恋人とか仕事とか何をしたとかどこに行ったとかわれわれはそういうことの集合体が人間だと思ってるかもしれないけど本当はそうじゃないし、普通の人間であるってことは別にそれらの中のどれかがなくてもっていうかそのすべてがなくても普通なんだよなって私は思います。
じゃあ何が普通なのかって、それはうまく言うのが難しいんだけど、誰かがそこに存在していて、その人に対峙するとき私が「あー、この人が私にそれを表現するかどうかはわからんけどこの人にはこの人なりの事情とか感想とか感覚とかがあるんだろう、それを私が知る日が来るかどうかはしらんけど」って思う、そのときその人が普通の人になるっていうかんじです。他人の観測できなさを信じるときに普通が誕生する。