夏のお仕事
障害者デイケアセンターでボランティアを始めて3か月、週4で働きはじめて約1か月がたち、クライアントの皆とだいぶ知り合いになってきたので改めていうんだけど、
いやー普通。
「普通」という言葉に語弊があるのはわかってるんだけど普通以外の言葉で言い表せないくらいの普通。ハイパー普通。普通すぎる。いや皆と接している時の感じが。
ここのクライアントさんは脳性まひの人が多いから発語じゃなくて代替コミュニケーション方法を使う場合もあるし、認知機能とかも人によってちがうんでそりゃそういう意味では普通とはいわんけど、人間ってちょっと知り合いになっちゃうと(それこそたった数か月でも)もう単に「そういう人」としか認識しないというか。なんかもうそういう人だから普通としかいえん。それ以外にこの普通さを表現するすべがない。語彙が滅してて申し訳ないけど。
障害があると社会で生きていくにあたって多大な不便が生じるという厳然たる特殊性と、でもなんか友達的なかんじで一緒に時間を過ごしてる時はまじでふつーーーの人としか言えないっていうことは完全に両立する、というこの感覚をどう伝えたらいいかわからないんだけどわかってもらえるかなこれを皆に。
普通さ
を伝えるために例えばサムはコメディ映画とジム・キャリーが好きで、ダニーはカーレースとかとにかくスピード系のものが好きで、ゲルダはゴアとかゴス系が好きで進撃の巨人も気に入った様子だし、フランクには長年のボーイフレンドがいたし、ナディアは私と誕生日が二日違いで二人とも忘れっぽいから私たち似てるよねーっていつも話してるとか、まあそういうことを言ってもいいんだけど、でも本当の本当はそういうことすら別に問題ではないんだっていうことなんです。
そういう何が好きとか何が嫌いとか趣味とか恋人とか仕事とか何をしたとかどこに行ったとかわれわれはそういうことの集合体が人間だと思ってるかもしれないけど本当はそうじゃないし、普通の人間であるってことは別にそれらの中のどれかがなくてもっていうかそのすべてがなくても普通なんだよなって私は思います。
じゃあ何が普通なのかって、それはうまく言うのが難しいんだけど、誰かがそこに存在していて、その人に対峙するとき私が「あー、この人が私にそれを表現するかどうかはわからんけどこの人にはこの人なりの事情とか感想とか感覚とかがあるんだろう、それを私が知る日が来るかどうかはしらんけど」って思う、そのときその人が普通の人になるっていうかんじです。他人の観測できなさを信じるときに普通が誕生する。