生物多様性の本を読みまして(本川達雄『生物多様性』)、生き物たちの多様な生態の説明はとても面白かったのですが、それを「生物多様性は価値がある」という結論に接続させようとしているところにかなり苦しさを感じました(依頼者の意向なのでしょうが)。前者は科学で、後者は信仰(感覚)の話になるので、同時に話すのは無茶だなと……
@promenade11 近年の生態系保全(生物多様性の保全につながるので)の意義として「生態系サービスを継続的に得られるようにして、人類社会の維持に役立てる」というのはありますね
建前だというのはわかっていますが、こうでもしないと「役に立たないの?じゃあいらないね!」って簡単に絶滅させられてしまう心配があるので(興味のない生物に徹底的に無関心であったり、有害な側面のある生物の絶滅を軽率に願う声は、意外と多い印象です)、せめてそういう大義を作っておかねばならないのだ、と自分も思っています
感情的には、絶滅種が山ほど出て後悔するよりも、今のままなるべく多くの種のいる世界のほうが圧倒的に面白いだろう、と思いますが…
@TSMoon56 ですよね。本川さんの本でも書かれているのですが、生態系サービスのような「道具的価値」の話なら(それをどの文脈で話すのが適切か、という論点は置いておくとして)理解はできるんですよね。ただ「内在的価値」の話(役に立つかどうかとは関係なく生物多様性それ自体に価値があるという話)になると、そこはまあひとそれぞれにお任せしましょうとしか言えないなと……。わたし個人としてはとても価値を感じてはいるのですが、その価値とはなにかを自分に問いかけて掘り下げていくと、自分だけに理解できる神のようなものがぼんやり浮かんでくるという……(そこが楽しいのですが🙃
@promenade11 たぶん、「生態系を守りたい」を還元していくと感情論に行き着いてしまうのは、変わりないのだと思います
それでは「感情論を根拠に保全を訴えている」となるので生態系の破壊を止められないから、大義に頼るんですよね…
自分の場合、どちらかというと信仰心というよりは親近感や、様々な生物への面白さ、「こんな面白いものがあるのに壊すなんてなんてことをする!」というのがあるので、灰都さんの考え方とはちょっとずれてしまうかもしれません
この辺は人それぞれに違いそうですよね
@TSMoon56 ああでも、(使い古された言葉ですが)センスオブワンダーを生態系に感じるところが核なのは同じ気がします!なにこれ??どういうことなの???すごくない????みたいな笑
@promenade11 自分もその言葉は割と好きで、生きものを面白い、と思う根幹になりうる場合もあるんじゃないかとは思いますね…
ともあれ、信仰であれ興味であれ、根底に感情論が根ざしているのは、色んな方に共通だと思います
@TSMoon56 ですね。ていうかまあ、たとえばうちには庭があるんですが、あの昆虫たちでも花たちでもみるとそりゃあ面白いでしょ!ってなりますね〜
@promenade11 生物(学問全体でもありますが)の世界は世の中を鮮やかにしてくれるんですよね
「あ、あの生きものだ、こういう生態があるよね」となるので、ちょっと庭を見るだけでも楽しくなれそうです
前に読んだ『理不尽な進化』はこのふたつに横たわる人間の認知バイアス(ex.自然の差配に“神”をみること)に焦点を当てているところが良くて、ああ、わたしが生物多様性のことを考えるといつも“神的ななにか”について考えてしまうのは故あることなんだな〜と思いました。やっぱり環境の話をするなら、ヌースフィアとか、生物都市とか、幼年期の終りとかのヴィジョンを持ちたいよね……