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野田努さんがインタビューでよく喋るのはいつもゲットーの黒人だって話をしてた。外部の言説(その多くはクリティックによるもの)に不信感があるからそうなる、と。これと対極にあるのが日本人のマジョリティーです。自分の言いたいことが伝わらないかもしれない、そしてそのことによって自分が不利益を被ることになるかもしれない、という危機感がまるでないんだよね。

私だって別所で「親日派」として、中国語で以下のような嫌みを(エアリプで)言われたりしているわけです。以下引用。

「1450(ネット上で特定の政治的見解を持つとされる人々)の緑脳の海外旅行と日常生活は以下の通りである:

海外旅行は日本にしか行かない。
日本以外のどこにも行ったことがない。
日本は天国であり、なぜ自分が日本人でないのかと思う。
桜が素晴らしく、日本人は優しくて思いやりがあると重度の幻想を抱いている。
よって、非皇民(親日派)である1450は不合格である。」

これに対して、私の立場は「親日/反日」といった平板で単純な二項対立こそディコンストラクトすべきだというものです。特に「反日」をバネにした民族主義には反対です。それに実際そんなことは生活していて意識しないのが普通でしょ。

北守さんの「Xは世論を反映していないから気にしなくても大丈夫」という趣旨の発言、果たしてどこまで本気にしていいものかという感じです。最近でもネットで話す若い人、大体みんなXのバズった投稿から話題を拾ってくるので。世論との間にどの程度乖離があるのか、一度ちゃんと調べてもらいたいものですね。

「和をもって貴しとなす」で思い出したけど、井川意高さんが先日「日本人にネーション・ステートの意識が芽生えたのは聖徳太子から」という新説を披露されていましたね。そこに「さすが井川さん、インテリジェントです」みたいな返信が多数ぶら下がっていたのを見て、いまだXにいる歴史学者は苦労しているんだろうな、と思いました。

あと理屈をひねってみせているようで、結局自分の第一印象の好き・嫌いから一歩も前進していないってケースもよくありますよね。そういう人とは対話もクソもないですね。「なんとなく嫌いだからこの人の言うことは聞かない」のなら、こちらも自分から積極的に話したいとは思わないです。まあそういう幼稚さは日本人に多い印象があります。「和をもって貴しとなす」文化だからかもしれません。ディベートの文化がない。

渦中にいれば誰だってその深刻さに気づくはずなんだけど、実際には黒人のユダヤ人への差別もあれば、中国人の韓国人への差別もある。アラブ人にしても(差別の問題に関して)イノセントというわけではもちろんない。そこで初めて日本人だけの問題じゃないんだって気づく。ある民族が別の民族に一方的にやられてるってことは実際には少ないわけですよ。自分の手の届く範囲で付き合ってみて、両者にとってよりマシな落としどころを探っていくしかないんです。

直接言う勇気がなくても、まずは自分の言いたいことを誤解のないように誰に言ってるのか明示しなければ話が始まらない。たとえエアリプでも誰かを批判したいなら「正確にその指摘があてはまる人」を想定して書かないと意味ないでしょう。Xに溢れる気持ちの悪い中韓嫌悪にしても、あるいはそれへの批判にしても基本的にやってること同じなんですよ。当事者不在。セクシャルマイノリティーに対してもそうですね。当事者そっちのけで、誰も直接言わないですよね。「差別は悪いことだ」というだけで自分で付き合おうとはしない。

あと山本太郎のこととは別に明言しておくと、私は自分の「主義」で付き合う人を選んだことはこれまでに一度もないです。

山本太郎が「アジア主義者」だと言われていることを知る。本当にそうかどうかは別として「(資源もなく、人口減少も著しい)ヨーロッパがアジア・アフリカと比べて先行きの見通しが暗い」のは確かなのでは。

Mastodonのことを知らない人が何のこと言ってるのかわからないのはわかるけど、どういう風に解釈しても「fedibirdに関する議論ってリバタリアニズムの問題だよね」は「私はリバタリアンです」と同義にはならないでしょう。同じような問題がたくさんある。言葉の裏を読みすぎなのでは?

「リバタリアンの共同体は参加も離脱も自由、
他の共同体を挑発・攻撃しないことが前提」

worksight.jp/issues/1518.html

・・・ということを前提にしても、これもやっぱり「プロトコル単位、もといサーバー単位の思想」のあり方のヴァリエーションなんじゃないかと思うんだ。管理者によって表明された「思想」を支持するかどうかで自分の居場所を決めて各々が棲み分けるようになる(mastodonはもともとそういう場所だけど、それは脇に置くとして)。プラットフォームの運営方針とそれを選ぶ利用者という形で、共同体が細分化されていく。そういうケーススタディとしてもこの問題は興味深いよね。
fedibird.com/@private_eyes/112 [参照]

僕だって「社会規範としては、幅広く合意が行き渡っている基準からの逸脱はNG」に関して、大目に見てもらっている可能性が大いにあるし(笑)、実質的にルールを逸脱してるような書き込みは枚挙に暇がないくらい多いわけでしょ。そんな中ですべてのサーバーがtoot.blueのような方針で運営される必要はないし、それが最適解とも鍵らないでしょ。あと差別に関するのえるさん個人の見解を求めるのも筋違いだと思う。彼は「管理者」としては公人であって、私人ではないんだから。のえるさん自身がどう思うかはサーバーの運営方針とは別の問題。

レギュレーションの問題はすごく難しいよ。自由意志をどこまで尊重するのか、どこまでが公共的「自由」の範疇なのか、その線引きは誰がするのか。管理者という立場に社会的な責任があることはわざわざ言われなくても当たり前でしょ。だからこそ簡単に規制できないってことなんじゃないか。のえるさんだって散々考えて決めたことなんだと思うよ。僕はとりあえず一人の利用者としてここのポリシーに従うつもり。

なるほど、論点は把握した。「差別発言に対してNSのフォーマット提供者が中央集権的に禁止すべきかどうか」か。

プロトコル単位の「思想」を精査する必要があるって意見には全面的に賛成。このままテック系にスペンサー以後の適者生存に基づく「ユートピア」を実現させることだけは阻むべきだと思うし、その点では協力させていただきたいと思っています。

“Elabed explained to me that these protest votes in swing states are meant to warn Biden that it’s time to restrict US military aid to Israel and call for a permanent ceasefire in Gaza. “Listen to your constituency and take action now,” she said, “or you’re going to have trouble in November.” Notably, Elabed and the campaign she leads hope that the president may correct course and earn their vote, thereby preventing a second Trump term.”

theguardian.com/commentisfree/

レナード・コーエン『デモクラシー』(日本語訳詩:中川五郎)③ 

わたしは情にもろくなっている、どういう意味かわかってもらえるかな
わたしはこの国を愛しているけど、現状には耐えられないんだ
わたしは右でも左でもない
今夜はどこにも出て行かず家にいて
あのどうしようもない小さな画面に我を忘れてしまうんだ
だけどわたしの頑固さときたら
あのタイムですら太刀打ちできないゴミ袋のよう
わたしはただのくだらない人間だけど
今もこの小さな野生の花束を掲げ続けている
民主主義がアメリカ合衆国に訪れる

レナード・コーエン『デモクラシー』(日本語訳詩:中川五郎)② 

進め、海を駆けていけ
偉大なるアメリカの船よ!
強欲の暗礁を乗り越え
誰もが待ち望む岸辺まで
憎しみの突風にもひるまず
進みいけ、航海していけ、海を駆けていけ・・・

それはまずアメリカに訪れる
最良のものと最悪のものとが同時に生み出されるところ
誰もに幅ができ
変化の手立てを身につけるのもここでなら
精神的な渇望を抱かされるようになるのもここでのこと
ここで家族は崩壊し
孤独な人たちが
もっとも奥底から心は開かれなければならないと叫んでいる
民主主義がアメリカ合衆国に訪れる

それは女たちや男たちから訪れる
ああ、ベイビー、わたしたちはまた愛を交わし合うんだ
どこまでも深く入り込んでいって
河は嘆き悲しみ、山がアーメンと叫び声をあげることだろう
それは月の支配下にある潮の満干のように訪れる
荘厳として、神秘的で
艶めかしい衣裳を纏って
民主主義がアメリカ合衆国に訪れる

進め、海を駆けていけ・・・

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