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ネットによってフェイクニュースが氾濫しポストファクチュアルな時代に…みたいなことが言われる一方で、ググれば最初のページにあるようなことでもググらない人がいて、どっちがより深刻なことなのかはわかりません。

世界的な政治への不信の高まりの中で揺らぐ代表制民主主義はどうなる? | 駒大PLUS komazawa-u.ac.jp/plus/topics/r

大衆化、市民化、通俗化…論者の立場によって言い方は色々ですけど、ここでは民主化とします。過度な民主化を問題視するのはよくわかる話だし、ネットを通じた手続き的な民主化はまだまだ全面化していないというのもそれはそうなんですけど、今起こっているのはむしろそれへのリアクションでしょう。どなたかの受け売りですけど、右も左もポピュリズムへの警戒の体で実際には民主主義そのものに疲弊している。

有意義な指摘だし流されるのはもったいないので、僕のほうからもちょっと付け加えておきたいと思います。廃墟に関してはアフターパンクの流れもありますよね。80年代ならアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンからプッシー・ガロアに連なる系譜。工業化を無意味化してみせるようなインダストリアル・ジャンク的な感性はその後のインターネット文化の一つの指標になっていると思います。よかれあしかれ。日本ではもちろん『AKIRA』があり、塚本晋也がいて、その後に軍艦島のリバイバルや「工場萌え」等が続いたわけですが、それらを資本主義の果ての風景として受容したのがポスト渋谷系から現在の浅野いにお的な「エモ」に至るサブカルチャーの流れだったと総括することはもちろん誇張ではあれど、あながち間違いとも言い切れないんじゃないかなと。

考えてみればスタジオボイスという雑誌は最後まで野間易通に「音楽ライター」として原稿を依頼し、どんなに彼の立場が危うくなっても保養し続けた。まことに懐の深いカルチャー誌ではあった。

Before getting excited about new technologies, the first thing we should do is consider regulation, including legal measures. By differentiating what can and cannot be done through laws, we can prevent monopolies and avoid the expected confusion. This should be common sense. For instance, copyright laws are likely the first thing that comes to mind, but we cannot simply ignore discussions on whether to change the law to suit artificial intelligence, or to change artificial intelligence to suit the law. It's absurd not to discuss these matters.

There is no discourse that is obviously correct. Before engaging in a debate, we must acknowledge that we do not share the same concerns. To achieve shared interests, we need to approach each other's information in terms of quantity and quality.

入門書ブームを寿ぎつつ『現代思想入門』に続き『ジャック・デリダ「差延」を読む』をe-honで注文いたしました。ところで、今までに書かれた最高の入門書といえば、それはマルクスの『ヘーゲル批判』でしょう。(もちろん、ヘーゲルへの入門としてです。)

本屋で平積みされてる右翼的な書籍の一群に対して思うことなんだけど、今の日本、没落していく人のほうがはるかに多いんだから、そのマジョリティの不安をうまく吸い上げて商売しているような保守国家主義者って、すくなくともマーケティングのレベルでは理にかなったことをしているなとは思うんだ。お客さん多いほうがモノは売れるに決まってるんで。

I can't speculate on individual motives, but from a macro perspective, it's just a manifestation of the power struggle among factions of intellectuals for industry dominance. On social networks, due to their nature, many viewers are inevitably drawn in, but the nature of supporters is bound to be biased, and the props obtained will hardly affect sales or social reputation. First of all, wake up to this fact.

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Although I think there's really not much that can be done, since it has already caught my attention, I'll respond. In general, whether it's criticism of the government or criticism of individuals, the first thing to consider is how to make your voice heard by the other party. The passive attitude of throwing your voice into the void and waiting for the other party to eventually pick it up is probably a drawback of the internet age.

「「1980年6月 東京」と洋数字で冒頭に記した「小説に付けられた274個の注は、『なんとなく』と『クリスタル』とのあいだに、『、』を入れたのと同じ作者の批評精神のあらわれで、小説の世界を世代的、地域的サブ・カルチュアの域に堕せしめないための工夫である」江藤淳

「待ち合わせたレストランはもう潰れてなかった」『東京は夜の七時』

「この退屈な国には もうお金がないわ
あのねどうして今は景気が悪いの?
資本主義はきっと 恋愛よりも難しいのね」『ジャンニ・ヴェルサーチ暗殺』

「〝愛〟は通常語られているほどぬくぬくと生あたたかいものではありません。多分。それは手ごわく手ひどく恐ろしい残酷な怪物のようなものです。そして〝資本主義〟も。」『pink あとがき』

「愛を纏うすべてが今
愛に惑うまでの12話
世界を囲うすべてに似た
サヨナラと風の12話
Otogi Nation Otogi Nation
Otogi Nation Otogi Nation」
『OTOGI NATION』

「今の東京には太陽と月以外に、私が過去と交るよすがは無い。日月では余りに手掛かりが無さすぎる。或る意味ではさういふ故郷喪失者こそ最も豊かに故郷を所有してゐるのではないか」福田恆存

youtu.be/l3Mufe5jY60

We have the freedom to choose companies that guarantee our rights within a fair framework and provide comfortable services, and I believe that those who represent these companies have a duty to acknowledge and listen to the voices of protest from customers, as long as they are providing a service.

I think that we should not tolerate business practices that belittle customers like on Twitter these days, because there are many people who have to use it for their work.

『FM STATION 8090 ~CITYPOP & J-POP~』、内容的にはとても良かったんだけど、渋谷系からアイロニーが抜け落ちて「日本sugee」に転化していく流れを再現しているようで、ちょっと辛いものがありました。ヴェイパーウェイヴ~シティ・ポップについては、相応のクオリティを持ったものをちゃんと評価するための枠組みや文脈を批評家が作れなかったことが何よりも省みられるべきだと思います。しかしノスタルジーと感傷に支えられたこのムーブメントは言ってみれば『なんとなく、クリスタル』が世界標準になったってことの表れでもあるんで、ナショナリスティックな視点でもってそれを喜ぶのは、「誤解」と言っていいんじゃないでしょうか。それこそ江藤淳が生きていたら激怒するところです。なぜなら江藤によれば資本主義によってナショナリスティックな意味で代替不可能なものがなくなっちゃったっていうのが『なん、クリ』の要旨だからです。同様にヴェイパーウェイヴは「失われた未来」に捧げられた音楽であり、ノスタルジーが誘うのはわれわれにとっては馴染み深い資本主義の廃墟です。それ=幸せな過去の記憶と戯れること=失われた未来を惜しむことを感傷的に受け止めることこそが本義であり、その性質からアイロニーぬきで受け止めることは難しいと思います。

我在Twitter上找到一个令人遗憾的知识分子,即使面对人们的离世也只会说“Ore sugee”。

戦略としての「日本のサカモト」について語る三田格氏。副読本に『「世間」とは何か』を挙げたい。
ele-king.net/review/album/0090

追悼ということで言うとout of noiseのhibariとasyncのLIFE, LIFEがいいんじゃないかなと思う。音楽への謝辞は音楽で返すのが筋というものだけれど、個人的には言葉も捨てたもんじゃないよという思いもあるので、hibariのモチーフになった夏目漱石の草枕から引用する。

忽(たちま)ち足の下で雲雀(ひばり)の聲(こえ)がしだした。どこで鳴いているか陰も形も見えぬ。

只聲だけが明らかに聞える。せつせと忙(せわ)しく、絶え間なく鳴いている。

方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されて居たたまれない様な気がする。

あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。

長閑(のどか)な春の日を鳴く盡(つ)くし、鳴きあかし、又鳴き暮らさなくては気が済まんとみえる。

その上どこ迄も登っていく、いつまでも登っていく。

雲雀は屹度(きっと)雲の中で死ぬに相違ない。

登り詰めた挙句は、流れて雲に入って、漂ふているうちに形は消えてなくなって、只聲丈が空の裡(うち)に残るのかも知れない。

グレーの画像が次々にアップロードされて、Twitterでトレンドになったりしてるんじゃないかと思って覗いてみたら、やってんの細野さんだけだった。
hochi.news/articles/20230403-O

2010年代の著作物にいくつか続けて触れたら、コミットする文化表現に関して「同時代的」だったことがこれまであまりなかったせいか、新しい情報がガッと入ってきて、ちょっと躁っぽくなった。まあどんな情報でも数量でもって相対化させていく基本的なプロセスに変わりはないけれど、その過程での一時的な多幸感や高揚感には抗い難いなと。

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