『FM STATION 8090 ~CITYPOP & J-POP~』、内容的にはとても良かったんだけど、渋谷系からアイロニーが抜け落ちて「日本sugee」に転化していく流れを再現しているようで、ちょっと辛いものがありました。ヴェイパーウェイヴ~シティ・ポップについては、相応のクオリティを持ったものをちゃんと評価するための枠組みや文脈を批評家が作れなかったことが何よりも省みられるべきだと思います。しかしノスタルジーと感傷に支えられたこのムーブメントは言ってみれば『なんとなく、クリスタル』が世界標準になったってことの表れでもあるんで、ナショナリスティックな視点でもってそれを喜ぶのは、「誤解」と言っていいんじゃないでしょうか。それこそ江藤淳が生きていたら激怒するところです。なぜなら江藤によれば資本主義によってナショナリスティックな意味で代替不可能なものがなくなっちゃったっていうのが『なん、クリ』の要旨だからです。同様にヴェイパーウェイヴは「失われた未来」に捧げられた音楽であり、ノスタルジーが誘うのはわれわれにとっては馴染み深い資本主義の廃墟です。それ=幸せな過去の記憶と戯れること=失われた未来を惜しむことを感傷的に受け止めることこそが本義であり、その性質からアイロニーぬきで受け止めることは難しいと思います。