先日芸能人の方がクリスマスの過ごし方を聞かれて「自分はパートナーがいないので」ってさらっと言ってて、ああなんかいいなあって思った。シングルであることを卑下していなかったり「パートナー」って単語を自然に使っているところが。
私が若い頃クリスマスは今よりもっと恋人同士で過ごす行事って風潮で、シングルであることに居心地の悪さを感じていたな。今思うと何でそんなに卑屈になってたんだろう、と不思議。
恋人ができてからも結局はケーキ食べるくらいで高級ディナーやプレゼント交換はやらなかった。
今は結婚して子供たちがまだ小さいからそれなりにクリスマスっぽいことをしてるけど、人それぞれクリスマスの過ごし方があってよい。何かしなきゃって焦ることもない。
水星の話。スレミオ推す理由について。 続き。
@undefined 水星のスレミオは第1話で契約上では、婚約関係になる。
契約上の関係だったのにいつの間にか本当に恋心が芽生えて、というパターンは男女のラブストーリーでは古典的と言ってもいいくらい定番である。(記憶に新しいところでは逃げ恥とか)
それなのに女同士という理由で結ばれなかったとしたら、同性愛の否定ではないか。
もちろん、人間関係において恋愛が至高というわけじゃない。
しかし、フィクションにおいて(そして現実でも)女性同士の恋愛がないものにされてきたという歴史があって、圧倒的な不均衡がある以上、やはり二人は「恋愛的に」結ばれるべきではないか。
そう考えるようになった。
そうは言っても、実際のところは最後まで恋愛とも友情とも明言せずふわっとした関係のまま話を進めるんじゃないかとどこかで思っていたので、第10話には驚いた。
両思いだと思っていて事実そうである相手にそっけなくされて落ち込むとか、良かれと思ってやったことが相手に伝わらずにすれ違うとか、そのタイミングで別の相手に誘惑されるとか、今まで男女のラブストーリーで散々見たやつやん…
これは恋愛ルート確定したな、と思った。
水星の話。スレミオ推す理由について。 Twitterでは前に書いたけど、こちらでもまとめておく。(長いよ)
思春期の頃から恋愛メインのフィクションが苦手だった。
その代わりと言うか異性同性関係なく「恋愛関係とは明言されない(≒性的な関係にない)けど強い絆で結ばれた二人」が好きで。
男女なら二階堂とカイマン、男男ならアッシュと英二、女女なら家茂と和宮とか。
BL・GLジャンルはやっぱり「恋愛」なので、男女ほどではないけどあまり食指が動かず読んでこなかった。
ウテナも大好きで水星の第1話を見た時は「めっちゃウテナ!しかもアップデートされてる!」ってテンション爆上がりでたちまちはまってしまった。
スレッタとミオリネについては「男とくっついたら嫌だけど、まあ恋愛にならなくても二人がずっと一緒にいられたらいいかな」くらいに思ってた。
でも、百合・GL好きの方たちのツイートを読むうちに、女性同士の恋愛を「恋愛を越えた尊い関係」と透明化したりレズビアンが悲劇的な結末を迎えたりそういうフィクションの歴史を知った。
賛同しました。
人権のために立ち上がった方が死刑なんて許されない。
直ちに死刑執行の停止を。
とりあえずアイコンを設定してみました😊また変えるかもだけど。
エドゥアール・マネ作「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」です。
ベルト・モリゾは19世紀に活躍した印象派の女性画家。
女性が画家として活動することが難しかった時代に、師であるマネの弟と結婚・出産後も製作を続け作品を残しました。
近年ではフェミニズムの観点から論じられることも多い人物です。
マネは彼女の肖像画を何点か製作していますが、私はこの絵が一番好きです。
意思の強さを感じさせる生き生きとした瞳に、不敵な笑み。
若い女性だけど、ただ美しいだけじゃない意思を持った一人の人間として描かれている、と思います。
15年ほど前になりますが実物を見たこともあります。
同じ展覧会で彼女自身の作品も見ましたが、そちらもすばらしかったです✨
旧Twitterとの行ったり来たりに疲れまして、こちらは避難所にします。
あまりいません。
日常話や政治に関するトゥートが中心。
よろしくお願いします😊