なんかすごい
>この監視文書をもとに、官邸は気に食わない報道やコメンテーターの発言があると公式ツイッターで反論し、報道に“圧力”をかけてメディア支配に利用していたのだ。
内閣広報室の番組監視は分析チームの職員3人ほどが専従となって、毎日、番組を視聴して出演者の政策に対するコメントなどを書き起こす作業を行なっている。記録文書は東京都内の男性会社員が情報公開請求して入手し、本誌が提供を受けた。開示文書は2月1日から3月9日付までの約1か月分だけでA4判922枚に及び、2種類に分類されている。
https://www.news-postseven.com/archives/20200603_1567595.html?DETAIL
あと最近感じるのは、個別の社会運動の中にある矛盾や欠点、社会派のドラマの欠陥なんかにはものすごく厳しいけど、政府や公権力の暴走ぎみな危険状態にどんどん目が行かなくなっている傾向が強くなってること。
プロフェッショナリズムの否定もあるとは思うけれど、公権力を「自然の摂理」みたいに捉え過ぎな日本の人が多いのでは。そうではないってことが根本的に理解できてない(教育もしない)のもあるけど、だから抵抗もしないし、「自然災害に右往左往する」みたいな反応しかできなくなっているのでは。そこには疑問がないのかな。人が作り出してるもんでしょ、っていう前提抜けすぎ?
調査報道するべきメディアが機能しなくなりつつある(メディア全般を「マスゴミ」呼びするキャンペーンが大ヒットした→反知性・陰謀論が広がる土壌が生まれた)し、そこがグチャグチャになり新たな狩り場みたいになってしまったことによる損失がデカいんだなと思う。
この話を読んでいて、はっとした。というのは、私が関わった政治・社会に関わる運動体(のようなもの)は、いわゆる「全共闘」世代は居なかったから。そういう点で、嫌な思いはしなかったんだよね(他の事では色々うんざりする事はあったけど)。
その辺りの年代の人たちが入ってこない、むしろ全体的に若い人たちが多いコミュニティだったんだよね、と改めて振り返って思う。
なので、その人が経験してきたものによって、様々な「実体験から導かれる、経験上構えてしまうこと」はあるし、一概に言えない部分もある。ただ、ある種のパターンとして認識される程度に、観測される出来事もあるので「それはあるよね」もある。
そうした「嫌だったこと」をある程度抽出して開示しないと、「そういうの気をつけようね」というムードもできない。また繰り返しになる。
左派のPRでダメだと思った所
若者はデモや署名活動をダサいと言って敬遠するから社会運動が衰退したという説も、本当にそうなの?オンラインを活用しながら形を変えているだけでは?と思うし、何よりそれって「若者は軽薄かつ経験不足で何が大事か分かっていない(俺たちは分かってる)」というのを前提にしてない?
というか、この手の議論って私が知る限りでも20年以上やってるんだけど。当時、若者だった自分たちもオルタナティブな運動の形を試みて、色々な表現やそれこそデモの時も音声のボリュームも住宅地では落とすとかすごい気を遣って(土日に騒音撒き散らしたら支持よりヘイトが集まるって)、対メディア戦略もかなりがんばって結果もそれなりに出したと思うよ。
それに対して「世の中受けさえすればいいと思っているんだろ?そういうのは俺たちは嫌いなんだ(すごい決めつけ)。ところで、どうすればそうやって若者を動員できるんだ?」と言ってきた全共闘世代のおっさんのことは今でも忘れていないよ。ディスるだけディスって利用だけはしたいって人たちと共闘しようなんて思えるわけないじゃん。