→ 昨日の投稿に続けるけれど。
Colaboへの攻撃を「リベラルエリートに対する民衆の反乱」と評した人がいるとかで鳥板で問題になっていたらしい。
その評価自体がものすごく的外れなのは言うまでもないけれども、でも、「リベラルエリート」をどんどん拡大して、様々なマイノリティの人権擁護の主張に対する差別的・反動的な抑圧を「リベラルエリートがそうではない人々を見下してきたからだ/耳を貸さなかったからだ」と言う形で擁護するパターンは、2016年くらいからずっと続いているよねと思っている。
このタイプの「リベラルエリート批判」はいわゆる「新自由主義批判」のひとつの形でもあることには注意すべきで、新自由主義の批判はもちろん必要だけれども、それが実際に欧米で排外主義や女性や性的少数者の抑圧に吸収・利用されていることも、忘れるべきではないと思う。
BT この文章を読んでいたら、ふいにマンガの方の「風の谷のナウシカ」を思い出した。
「マスクをしているのは日本だけ」という嘘……。
「アメリカでマスク着用が再び勧告され始めた理由
「トリプルデミック」で医療逼迫が近づく」
『東洋経済オンライン』
「感染の広がりを防ぐのは実際にはマスクであり、空気の濾過にも効果があるだろう」(アブラール・カラン氏)
https://toyokeizai.net/articles/-/640439?page=3