programmer
いやもう寝るからね、おやすみー
経営者かつ資本家というのは昔はもっと多かったのかな
それはそうだった
経営者は労働者でしょ
寝る方向にむかうぞ
そろそろ寝るべきなんだが
あと企業と戦うにしても企業も国際競争にさらされていまいち頼りない、共倒れするのも困るし、みたいなのもあるか?いやないかなどうかな
労働者で団結して待遇改善を求めるより搾取する側にまわったほうが賢い、みたいな
起業がうまくいくにしろいかないにしろ、労働者を搾取の対象と見る構造&観点の再生産に寄与する側面はあるかもしんない。
フランチャイズとかで経営者になっても実際は搾取されてる、みたいな構図はないですか?たとえば
起業のススメ! キミも資本家になろう!(賃金労働者を卒業しよう!)みたいのは、階級闘争ビジネス(階級闘争ビジネス?!??)なのかなあ。資本家の打倒じゃなくて資本家側になって搾取やろうぜ! みたいな。
経営者目線「俺だったらそんな賃金で会社勤めとかしないけどね」
なるほど、起業家精神みたいなのをあおるのもそう?
社員ひとりひとりが経営者目線で考える! みたいなやつ。いや経営者の観点持つのは経営者だけでしょ。
資本家のイデオロギーがプロレタリアート(今日ではプレカリアート)に植えつけられた、下部構造(経済状態)と合致しない虚偽意識という話なんじゃないかしらん。
みなさんマルクスを一度お読みなったらよろしいのに。マルクスが古すぎて嫌だったらアレントでもいいけど。
論文を書くとき、不特定多数ではなく、少数の分野の専門家に向けて書くのだ、と師匠からいわれた。政治家のマニフェストも、誰をターゲット層に設定しているのか明らかではなく、抽象的な「労働者」や「生産者」にむけて語っているから、実態として響かないというのはあるとおもう。
こういう話きくとゲリマンダーを思い出す、なんとなく
労働者であることよりも日本人であることがアイデンティティとして優越する、ということであればよくわかる気がする
全共闘の分裂を決定づけた華青闘告発(1970)、全共闘的な運動が植民地主義に向きあっていないという華僑学生による告発があるけど、これ単一だとおもっていたアイデンティティが、集団内部で馴らすことのできない多様なアイデンティティをもっていて、「労働者」みたいな単一的なアイデンティティだと、実はそこに隠れた前提があり(全共闘の場合は「日本人」というのが隠れた前提)多様性を踏み潰してしまう、みたいなことになるのかなと。
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