死刑制度もそうだけど、システムとして完璧であることを前提としているのでは?
これって日本の公共システム全体の設計がそうなんだろうか。
基本的には性善説で、公務員は公共の福祉のために働くというのが前提として、その上で、人であるから間違いを犯す可能性があり、どこでそれを見つけて、いかにリカバリするか…を組み込むのは難しいんだろうか?
素人考えだと、その方が健全な運営ができそうだけど。
(というか三権分立って本来はそういう仕組みだよね?)
どの国でもそうだけど、法律は変更しにくいので、常にそのときの倫理観と合わず古い状態になるので、そもそも間違いがないことを前提に動いてるのもおかしいんじゃないかと思う。
少し前に、日本は有罪率99%という投稿が流れてきたけど同じ問題だろうか。
システムとしても間違いがないことを前提として、システム運用側もそう動いてる。
こういう仕組みになってるから袴田事件でも検察が最後まで争ってるってことなのかな。
「福音と世界」で「警察は必要か?」という特集があった。
http://ira.tokyo/item/book/8886/
BLM、クルド人の事件、沖縄で起きた警察が暴行した事件、戦前のキリスト教徒弾圧の例を出して、警察は社会の治安を守るものだけど治安を考えるとき為政者の視点が入ってくる、警察が必要のない世界はどうやって作ることができるか?という記事があって
https://twitter.com/plum_pot_221b/status/1539540463866494977?t=qi0iumfDqb6glNtfe1FvZg&s=19
これ読んだとき、私のなかでも、なんとなく警察に対してもっと守ってほしい、守ってくれるものだという感覚があったことに気づいた。
それはある面では正しいんだけど、これが社会のマジョリティであるという感覚なんだと思った。