なんだかんだ言っても
無料公開されてるからかつく食べを読みに行ってしまう。そして毎回大なり小なり突っ込みまくってしまう。
ところで3/29公開のつく食べ49話で「カミングアウトなんて必要ないのにって思わない?」「仕事とかには必要ない話だよね」って会話を耳にして野本さんが水底に沈むほどショックを受けている一方、4/4発売の何食べ182話はシロさんが「自分からカムアウトするつもりは無いんだ ヘテロの人間だってわざわざ職場で自分が異性を好きだとは言わないだろ」つってて、まったくの偶然なんだろうけど、すげえタイミングで内容がバッティングしたな……。
メモ帳の供養
シン・ウルトラマンをみたとき、「これはウルトラマンや特撮のことをよく知っている思い入れが深い人たちに向けて作られた映画なんだな」と感じていたので、パンフやインタビューで庵野氏や樋口監督が「今までウルトラマンをよく知らなかった人たちにも楽しんでもらえるような作品にしたかった」と言っていたのを知って驚いてしまった。
自分たちの映画を特撮の入り口にしたいというからには、相当な思い入れをもって作っているんだろうしそれは伝わるけれど、現行のテレビシリーズも続いていて、今の子供たちにとってはそっちが特撮の入口になってると思うのだが庵野樋口両名は今の特撮をどう評価しているんだろうか。そして自分たちの映画を誰に見てもらいたいと思って作っていたんだろうか。特撮に強い思い入れがあるわけではなかったのでそこら辺が読み取れずちょっと戸惑ってしまった。
自分用のメモとして残しておく
以前「2018年辺りからの海外由来のトランスジェンダー関係を中心としたクィア運動って悪い意味で新自由主義との親和性が高くないか」と書いたのだけど、このエントリを読むとクィア運動に限ったことではなく安楽死を始めとした生命、身体、健康分野のトレンド、方向性としてそういう傾向があるってことなんだろうか。分野は違えどどちらも「自分らしく生きるために」という点が出発点になってるのが共通している気がする。生きていくうえで生命や身体の価値、それらを自分自身でコントロールすることが金銭的価値と結び付けられて消費されランク付けされてないか?という疑問がうっすらとある。
児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)
http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52376327.html
これが単に自分の中での思い付きであまり関係のない者同士を関連付けてしまったのか、それを考えるうえでも上記エントリの書籍は読んでみたい。
関連して積読状態の「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か これからの経済と女性の話」も読んでおきたい。
https://amzn.to/41xBECh
つくたべはもう料理マンガではなくなってしまったんだなあ。タイトルの意味……。
私は料理マンガ、食べ物マンガが好きなんだけど、これらのマンガに何を求めて何を楽しいと感じていたのか改めて振り返り考えるきっかけにはなりました。
SBI証券で口座作ってこれからNISA始めようってときにこのニュース😂
パレスチナの作家であり「We Are Not Numbers」の共同設立者でもあったRefaat Alareerさんが亡くなったことを知る。12月7日の空襲によって家族ぐるみで殺害された。無数の「テロリスト」のひとりに数えられてしまった。
Refaat Alareerさんは「If I must die」という詩を2023年11月1日にSNSに投稿していた。以下、日本語に訳しておく。
僕がもう死ぬしかないのなら
君はもう生きるしかない
僕のことを語り伝えてほしい
僕のものを処分したお金で
布切れと凧糸を買ってほしい
そうして(それを白く高くたなびくようにして)
ガザのどこかでひとり
天を見上げる子供が、
火だるまになって消えた父親を
だれにも
自分自身の体にさえも
別れを告げずに
消えてしまった父親の帰りを
待ちわびる子供が、
その凧を見て
君の作った僕の凧の
天に舞うのを見て
ほんの束の間
それを天使と思うはず
愛を返しにきてくれたと思うはず
もし僕が死ぬしかないのなら
それが希望となりますように
それが物語となりますように
基本的にこのIDでアカウント取ってるんですが、取れないこともある。
インスタのoya03は私じゃないです。
hatena
https://profile.hatena.ne.jp/oya03/
tumblr
https://oya03.tumblr.com/
mstdn.jp
https://mstdn.jp/@oya03/