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久しぶりに映画館に行った。映画は悪くなかったけど、でもやっぱりピンとこないところがあって、うーん。
中盤の終わり、主人公Aが敵に追われて草むらに隠れているがこのままでは逃げられそうにない。見渡すと、馬上の主人公Bが遠くに見える。意を決してAはBの名前を叫ぶ。声は追手とBに同時に届き、Aは追手を後方に背負ってBに向かって走り出す。Aと馬上のBが交錯しようかというところで、地面に巨大な倒木が半分地面に埋まっているのが現れ、Aはそのままその倒木に駆け上ると宙に跳ぶ。その体をBが手を伸ばして受け止めると、馬を駆って追手をかわし逃げ去って行く。
この場面に至るまで、Aは映画の中で一度も言葉を発したことがなく、Bと出会った後もその名を呼んだこともない。そのAが初めて発した言葉がBの名でその声をきっかけとしてアクションが起動しAとBが馬上で一体となることで収束するのだから、物語とアクションと声が一体となったこのシーンが感動的にならないはずがない。と思うのだが今ひとつ気分が盛り上がらないのは何故なんだろうか。
映画全体としてはよくできているような気がするんだけど、この場面でちょっとシュンとした気持ちになってしまった。

それはそうと、このシーン、特に日本の観客だと『天空の城ラピュタ』の一場面を思い出す人は少なくないだろう。『ラピュタ』中盤の終わり、城の地下から塔の頂上に逃げて追い詰められたシータが宙に身を投げると飛行機(?飛行装置?)に逆さまにぶら下がったパズーが攫っていく場面。
同じことを考える人がいるだろうと検索してみるとどの場面とは言わないが『ラピュタ』との類似を指摘する人が見つかるが、そんなことより日本の映画メディアによるこの映画の監督へのインタビューがあり、それによるとこの作品というより監督の芸術的なインスピレーションの素として『千と千尋』『ラピュタ』の2作を挙げている。
なので、この映画のこのシーンが『ラピュタ』の引用であるいうのは多分正解だろう。
他にも宮崎駿的なモチーフはあったような気もするけれど、宮崎のファンというほどでもないので、そういう分析は他の人にやってもらいたい。

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