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閉店は悲しいですけど、年季明けまで働かされがちだった日本の芸能の世界については、解散や移籍がしやすくなったとポジティブに捉えたいと思っています(移籍や解散のために、契約履行のベスト盤が立て続けにリリースされる、みたいなことがなくなってきている、という意味でもあるので)。

ただ、事務所から独立していく傾向は、育成期間をバーター(セット売り)でしのぐという、芸能以外でもよくある日本的経営を見直しに入るという側面もあると思うので、これから世の中が大きく変わりそうな気もします。

あとまあ、今年は例年以上に優先的地位の濫用に公取委が厳しく、足抜けしても干されにくいので、解散と移籍が多いんじゃないかなと。

『オッペンハイマー』、「あのオッペンハイマーより年上のひとっぽいひと誰だったのだろう」とキャストを見直してみたら、ヴァネヴァー・ブッシュ役だった。。。

Memexの!というかんじだ。

「自分の父であり、一国の王者である人の恋人と密通しているということは、「物のあわれ」という眼から見れば同情できるでもあろう、まあそこまでは許せるとしても、そういうものがある一方で簡単に別の情婦をこしらえたり、その情婦に甘い言葉をかけたりするということは、どうしても許せない気がする。」(谷崎松子『源氏余香』)

大見崇晴 さんがブースト

オッペンハイマー、ネタバレしまくりたいくらいには、出来のよい映画でした。(さすがにしないですが)

今夜はNHKで、メタバースさだまさしを放送する

うーんまあ、なんというか海外との文脈ではそういうかんじだと思うのですが、細かいところを抜きにすると「井上靖が一番えらい」という結論から逆算して成立した日本独自のジャンル観じゃないかなあと想っています。冒険小説。
QT: fedibird.com/@ttt_cellule/1121
[参照]

白江幸司  
@ohmitakaharu いや、海外と日本で大きな差はなさそうですよ。北上のは80−90年代の歴史的規定が大きいだけで、海洋ロマンとかアクションとかスパイ、ヒーロー/悪漢とかのモチーフが出がちなのは欧米でも同じなようですから。また、伝奇時代小説なら左記の要素が埋まるのでそれら作品をカウントし...

よりもっと核心に向かうと、内藤陳さんが好んでそうな小説ジャンルを「冒険小説」と呼んだのではないかというかんじがあるというか。戦後日本においては。

世界的な基準と日本の基準だと、なんか違うんじゃないでしょうか。

世界的にはリヴィエールの『冒険小説論』を踏まえると思うのですが、北上さんが娯楽小説を取り扱った際のジャンル小説の意味合いになっているというか…‥要は新宿ゴールデン街で育まれたジャンル小説になっているというか。

で、長谷川伸のところから、村上元三も山岡荘八も平岩弓枝も西村京太郎も池波正太郎も、みーんな巣立っているので、ここを押さえれば、大まかなところがわかるのです。

あー谷崎潤一郎みたいにモテモテになりたいなー(三十代までにはなかった感情)

『瞼の母』の長谷川伸自身が書き講談出身なので、そのあたりも含めてカバーされているといいますか。

長谷川伸論 - 岩波書店
iwanami.co.jp/book/b256057.htm

暗黙というか、時代小説は明治に流行した講談から生まれた「書き講談」に由来する小説でないかと思います。映画で言えばチャンバラ映画に相当するものというか。

うーーーん、そんなかんじでもないような。

ないような気もしますが、人気の時代小説家って、ほぼ月刊ペースで文庫本を出してる作家ものですが、わりとジャンル外には知られていないというか。

それはきっと板を握る担当が内側に力を入れていたんだと思います。

マツコ会議、ひさしぶりに特番でみると、この番組はマツコのやる気が起こる題材じゃないとやらないのだろうなあと思う(それはそれでいいことなのだが。今回は女子高生たちとの対話)

というか、じつはかれこれ二十年くらいは、時代小説専門の評論家って、縄田先生しかいない状況で。。。
(縄田先生ご自身は、このミスの長年投票してたり、大衆小説全般にお強いのですが)

秋山さんは立派だと思うのですが、独自すぎて。

世間や文学史的には、新聞に大衆小説時評を連載していた吉田健一のほうが存在感があるような(といっても、あれも独自の存在過ぎますが)

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