「インターネットを閉じよう」「いまはSNS見るのやめた方がいい」
それはその通り 対応として間違いではないのだが
本来的には途方もない理不尽なので、賢いやり方みたいなもしくは親切みたいな体でアドバイス風に言われたり、そうするのが当たり前の対応みたいに発信されるのを見てしまうと、やり切れなさがある
リアルでは片時も息をつげず見せられない自分があり、
言えない言葉があり、
話せる相手がおらず、
だからこそインターネットで、やっとどうにかSNSだったわけでしょ
別に全員とは言わないけどそういう人たちはいるし特に制限の圧倒的に多い若い人たち学生立ち子どもたちにとってはますますでしょ
リアルに場所を見つけずらくて、インターネットからも逃げなきゃいけなくて、じゃあどこに行ったらいいんだよっていう
どこにも居場所無くなっちゃうじゃん
それでも一度引っ込まないと危険な状態なんだから引っ込むしかないわけだけど
引っ込むには引っ込むで そういうのっぴきならない寄る辺のなさや切実さがあることは、言いたくはあるよ
インターネット閉じるしかない、sns見ないでいるしかない、そうするしかできない理不尽への怒りはあるんだよ
去年書かれた記事だけど、置いておきますね
極端な選択に関する報道に、私たちはどう対処すべきか? | The HEADLINE https://www.theheadline.jp/articles/618
ある作品を公式側から「百合」と呼ぶことについてのややこしさの別側面ですね。
https://twitter.com/kagawa_writing/status/1676785625738153986