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しばらくは行ったり来たりして、離れたり戻ったりの波が続くのだと思います。そしてある日、ふとしたきっかけで完全に離れて二度と戻らない……そんなことを繰り返し、たくさんの人間関係が消えていきました。

人生の半分以上twitterとともにしてきた方々と、私くらいの世代とでは今回の出来事の感じ方も違うんでしょうね。なにもかもを分かることはなんと難しいことか。

ここ数日つまらぬ仕事でワタワタし続けています。安らかでありたいですね。

「ややこしさ」は表現が悪かったですね。「百合」という言葉が指すものの曖昧さ、歴史的経緯、現実の同性愛との関係、そうした様々な複雑さを見据えて丁寧に繊細に扱う必要があるであろう……ということです。

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あくまで作品への言及とはいえ、吉屋信子自身のことを意識せずに読むことは難しいでしょうし……

現代の目から見て「百合」として読むことには読み手の自由なのですが、この帯に抜書きされた表現だと、当時から「百合」概念あるいはジャンルが存在していた(しかも「徒花」として!)かのように読めてしまうという懸念はあります。

ある作品を公式側から「百合」と呼ぶことについてのややこしさの別側面ですね。
twitter.com/kagawa_writing/sta

残すものと捨てるもの、どうしても持っていけないものを把握しつつゆるやかに移動できるとよいですね。

目的も何も決めない無の旅がしたいのですが、何も決めないのは難易度が高すぎ、かといって目的など決めると億劫で何かが違うことになるので、けっきょく外にも出ないままになりがちです。

リリース直後はスタミナがダダあまりするけど回復量が絞られてくると不便でスタミナを使いにくくなる昔のソシャゲみたいですよね、今のtwitter。スタミナ制SNS。

アプリのほうも見れなくなったのでいよいよ終わりですね。

「マルセル 靴をはいた小さな貝」を観ました。事前に想像したよりずっと静謐で切実な作品でした。
「喋る貝がSNSで大バズリ」的な惹句のくだりは脇筋で、むしろ変化や繋がりという普遍性の強いテーマをかわいらしいコーティングで提示するのが主軸という印象でした。何かの折にふと思い出しそうな心の柔らかいところに残る作品です。

twitterはほんとうに完全に死んでしまったようですね。

いよいよ向こうはおしまいなのではないでしょうか?

「こういう買い方が著作権者にいちばん利益が入るよ!」みたいなライフハックってやっぱり有害だと思うんですよね。商業出版物とかいう大量生産品のたかだか一冊の売れ方で著者が一喜一憂しないといけないような貧しさこそ悪です。

スタッフロールでバカほど作画スタッフが多いの、TVシリーズでやられると「制作あまりにもギリギリすぎてひたすら人ひっかき集めるしかなかったんだな、現場地獄だったろうな……」以外のことが思い浮かばないので、べつに誇るものじゃないよなって思います。こういうアニメ制作周りの肌感も世間には通じないんでしょうね。

平日はあまりひまがありません。

お酒をいれたらすごい勢いで眠くなっています。

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