星占いの本を読んでいる感想
今『石井ゆかりの星占い教室のノート』読んでる
火星や金星が担わされてる「男性性」「女性性」の話もあるけどンーてなってる
一般的な「らしさ」と無縁ではないが根本的に異なる…と書いてあるものの、せいぜいそれは「女性性」=「女性である」を意味しない、程度しか読み取れなくてなんかヤダが解消されない
それ自体には性別のない要素(優しさ・受動性・魅力etc)を伝統的な「女性」のイメージで喩えている、と説明されてるけど、まず伝統的な男女てなんやねんであり、性別のない要素を性別の(しかも"伝統的"ときた)イメージで喩えることが性別らしさのイメージを強化しないわけないじゃん…と思う 性別のないものをなんで性別でイメージさせようとするんだ
まあ、わたくしはそもそも男女で喩えるのがヤダ〜であり、それは石井ゆかりさんが悪いことではないのだが…自分でいちいち男性星座と女性星座を縦星座と横星座に書き換えるしかない…
便宜上、つってもそこでふたつの性しか出てこないことを気にしないでいられる者は当然自明の区分かのように、易々と勘違いできちゃうじゃんか(それが現状じゃないの?)
星読みできたら楽しいだろなと思うけど、タロットよりこういう躓きが多い気がする…
星占いの本を読んでいる感想 性のトピック
ある天体がある星座に位置するときの苦手意識・抵抗感・試練みたいな読み解きの説明で〈性的なことを感情から切り離し「性交はスポーツ」と言ってしまうような人にもしばしば見られる配置です。〉とあって嫌だった
ポイントは"感情から切り離し"の部分なんだろうと思うけど〈心身が「分離」しています。〉の事例として挙げられてて、惹かれの感情と肉体の接触を求めることをのつながりをあまりにも"そうあるべき"ものとして信用しすぎてる感じがある
〈「性交はスポーツ」と言ってしまう〉の"しまう"は完了じゃなくて過失だとわたしは読んだが(完了で読むの無理では?)、スポーツのスタンスでおこなわれる性交は過失か?その実践者は心が分離しているのか?親密に結びつかなければ心じゃないのか?
ちなみにこの説明がなされる星の配置はヌのネイタルにあるものではないので別に関係ないっちゃないが、性への抵抗からではなく「性交はスポーツ」と言って"しまう"立場としては恋愛的親密さの性交がそんな偉いかと白けてしまった 世界がそういう見方なの分かってたはずだけど、ガードが緩んでたな なんで占い学びたいのにガードが要るの?