「建築を語るうえで必要なことは、植民地建築が支配とどのように関係しているか、あるいは支配を進めるために植民地建築をどのように作ったかという問題である。言い換えれば、植民地建築が存在することを前提に、支配を語る危うさが存在する。(中略)両庁舎とも長い歳月をかけて建てられたこと、その歳月が支配する側にとって意味があったこと、総督府庁舎よりも優先的に先に建てられた建物があったことなどは無視されるのが常である。そこには植民地建築が支配と関係するという前提を、そのまま結果として語る危うさが存在している。」