Twitterやめるかなあ。インターネット上で生きてるけどTwitterはやっていない、という人は普通にいるわけで。
Noratetsu Lab: NTA-DIY:糸口①~結局何をどうしたら動くのさ~ https://noratetsu.blogspot.com/2023/04/NTA-DIY-c-1.html
Webブラウザで手作りアプリケーションを動かすために必要なことをまとめていこうというシリーズを始めた。
Goさんにいただいたコメントによって、短文投稿という形式とアウトライナーの関係性について自分の中にちょっと解釈が生まれた感じがする。
もしやツイ廃(Twitterに居続けて無限にツイートできる人)はアウトライナーに馴染むのにやや時間がかかるのではないか。(サンプルが数例しかないのでわからないけど)
良さを発見するまでにちょっとタイムラグがあるというか。「ああ、なるほどね」になるまでにちょっとある。
ツイートとアウトライナーの項目は粒度として似ているけど違うところがあり、その「似ているけど違う」感を的確に掴むのは結構難しい気がする。
思考の最小単位がツイートサイズなのは多分アウトライナー的には大き過ぎるんだけど、頭の中に当たり前にツイートサイズでブロックを作ってしまうので、そこからアウトライナー的なサイズ感になっていくのに慣れがいるというか。
Noratetsu Lab: 話題管理サービスとしての掲示板 https://noratetsu.blogspot.com/2023/04/BBS.html
掲示板の話の本題。
自分の知見にすぐ結びつけてしまう、ということからの解放が必要だとして、その「結びつけてしまう」の部分が単に「あれのことか!」という気づきの喜びのせいなのか、自分の人生上の復讐心があってのことなのか、で対処法は全く変わってくるのだろう。
某ツイートに関して。
多分「空気読めない」には「文字通りにしか認識できない」と「自分の解釈でしか認識できない」とあるのだが、「空気読めない」イコール「文字通りにしか認識できない」ということだという理解が一般的に強いせいで、単に「自分の解釈でしか認識できない」人が「空気読めない」と言われた時に「自分は文字通りに認識してしまっている」と誤解しているのでは、と思った。
その場合、結局「文字通り」には読めてないけど、「自分の解釈」とは「文字通りに読んだ結果」だと信じているのかもしれない。
テキストをテキストとして読むというのは、「自分の解釈」を我慢して脇に置くということであって(と私は理解していて)、「自分の解釈でしか認識できない」型の「空気読めない」人はテキストをテキストとして読むことも困難だろうと感じる。
Noratetsu Lab: ひとり掲示板で自由に呟く https://noratetsu.blogspot.com/2023/04/singleBBS.html
自分的にめっちゃいいこと思いついた。
後から「ああ、あれ文脈をわからないで喋っちゃってたな」と気づくことがある。ちょっと悲しい。
Noratetsu Lab: 短文投稿サービスを彷徨う https://noratetsu.blogspot.com/2023/04/microblog.html
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