ChromeやVSCodeの拡張機能とかScrapboxのUserScriptを作れるようになってくると背中に翼生えてきた気分になる。
ブラウザのブックマークはリスト形式なのが嫌だ、とかなり前にツイートしたけど、Chrome拡張機能で好きな見た目と挙動を作るということを思いついてちょっと世界が変わるかもしれない。
私が行く図書館だと「○番でお待ちのかた」と言っていたような気がする。どうだったかな。気をつけて聞いてみよう。
図書館で本が借りる「市民」は「お客様」なのか?
最近は最寄りの分館に簡単に市中図書館から書籍を取り寄せてくれるようなったのはありがたい。
ただ、取りに行って待っていると、「何番のお客さま」と呼ばれることが多い。
私は市民として本を借りており、「お客さま」ではないと思っているので、時々「えーと、私はあくめで市民として公共サービスを利用しているのであって、お客様ではないのではないでしょうか?」と言う。
そうすると、たいていの場合「申し訳ありません」と返される。これはクレームがついた時のマニュアルなのだろう。
これが繰り返されると、私が「モンスター・クレーマー」のような立ち位置になるので、当惑してしばらくおとなしくなる。
しかし、世間であまりに公共空間を消費空間へと置き換えようとする流れが強いので、1年くらいすると、また「クレーマー」に見られないように「えーとですね、これはクレームではなく、あくまで一市民としての感想なのですが、( )さんでいいのでは・・・」と繰り返す。
ただ、ここ20年さっぱり「お客様」、「( )さま」と呼び出されるのは変わらない。
「公共空間」を身近に広げていく、というのはなかなか難しく、悩ましい日々である。
子どもの時点で見るとウケる描写が、大人になって見ると「そういう意味を込めていたのか…」と気づいてむしろ胸が痛む描写に見えてくる、というのは割とよくあることだと思う。
で、意味を感じ取れる程度に大人になった人間が、まだウケているだけの子どもに対して直接諭して説教するというのは、果たして良いことなのだろうかと考えている。
うっかり漫画を読んでしまって世界観の影響を受けてしまっている感じがする。厨二モード的なことではなく、感情の揺らぎみたいなものを引きずってグラグラしている、という感じ。
疲れ目かな〜なんか見えにくいな〜と感じた時、眼鏡を拭くとだいたい治る。(直る。)
日刊ゲンダイのweb記事で「泣かず飛ばす」とあってなんだか酷いなと思った。「泣かず」か「飛ばす」かどっちかだけなら「まあ気をつけていても誤字はなくならないよな」と思ったけど。
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