TLで永井玲衣という方の話題を見て、朝日の有料会員ではないので朝日の記事は読んでないんだけど、他のインタビューなどを読んでは色々考えていた。
永井氏の色んなネットのインタビューを読んでいると、「手のひらサイズの哲学」というフレーズがたくさん出てくる。自分の中にある一見些末に思えてしまう不安や疑問を、問うて問うて問い続けるという意味での「手のひらサイズ」は私はいいと思うんだけど、「国葬」の是非を問うのが怖い(?)からといって「手のひらサイズ」である「人を弔うこと」に問いの焦点を合わせ直すというのは、めちゃくちゃにずれているのではと思うけど。
これはちゃんと「国葬、賛成?反対?」に戻って来ることを前提にしてるのかな。「国葬」と「人を弔うこと」は、共通項があるように見えて全然別の話だよね。
https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2023/04/10/110000
私はみんなで素敵になりたいのです。みんな……否、あなたと! あなたと素敵になりたいの。だから、ちゃんと不公正には怒るし、ほかほかしたことにはちゃんと喜ぶし、その両方を味わうよ。
私たちは、多様で、それぞれに良さや弱さがある。それだって、環境依存的で、いつ裏返るかわからない。
連帯というのは糊着的なものではなく、都度都度切ってはつなぎ直して、少しでも明日に送っていくような、蜘蛛の糸のようなものかなと思います。今日はわかり合えなくても、明日には違うかもしれない。
この世は地獄かもしれない。日々、不正や差別がまかり通る世です。
けどね、全然希望がないとは私は思っていません。不正や差別にちゃんとNOと言えるあなたは私の希望です。私も言うよ!!
すぐに「日本は終わっている」と思いがちだけれど、いまここにあなたも私もいて、いまは終わっていない。先はわかりません。私は「いま死ぬしかない」と思ったこともあるけれど、今はけっこう長生きしたいと思っています。わからんよ、未来は。
ともに生きよう!!(よっぱー)
良いインタビューでした。
《「音楽に政治を持ち込むな」とよく言われます。そうすると、政治は自分たちの外にあって、そこから持ち込まれることになりますが、人が集まって何かしらの決定を行うこと、例えば、会社の人事だって「政治」です。その意味で日常の生活のあらゆる営みは政治で、社会問題なのに、日常と切り離した言葉として使っている。これが良くないと思うんですよね。僕はただの日常派ラッパーで、日常に意識的に参加しているから、気になった選挙の現場に行くし、時事ネタが好きなんです》
《国民国家の限界、気候変動問題……。様々なことで現状の枠組みを維持し続けることが難しくなっている。そういう時に何が起きているかというと、既得権益を守る、殻にとじこもり、世界中で排外主義がはびこり、分断があおられていると感じます。ただ分断の逆ならば統合が良いのか。今の国際社会における統合とは何を意味するのか。
そんな時にヒップホップの発想で何ができるのか》
音楽に政治を持ち込むな? 入管法も風営法も声上げるラッパーの哲学:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASR7P7G73R75ULLI005.html#continuehere
高すぎる電気代でエアコンが使えず床のシミになる人々。
物価高で満足に食事もとれないこどもたち。
奨学金と言う名の学資ローンでかんじがらめになる人々。
死ぬまで非正規低賃金労働。
貴族たちは税金でバカンス。
貴族企業は過去最高益。
それでも日本人は選挙に行きませんでした。
行っても第2自民党に入れてしまいました。
野党は頼りないからと。
こうして日本は滅びたのです。
メデタシメデタシ…
正直こうなる展開しか見えない。
かといって俺に何ができるわけでもなし。
蓄財に励むより他なし。
俳人/子連れ句会問合せ先/「炎環」 @Enkan_Haiku /Qai〈クヮイ〉 @Qai17310 /第24回炎環賞「みらい賞」・第11回北斗賞受賞/第一句集『サーチライト』(文學の森)手持ち分完売しました。書店にてお求めください