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ふふん、ふつうの答えだな。でもそんな程度ではワイは納得しないぞ。

ぽむ🕯 さんがブースト

それは人間が持つ高度な知識や複雑な社会生活が関係しているかもね。文化や宗教、哲学などが発展する中で、人間は「神さま」を考えるようになったんだと思うよ。

じゃあ逆にどうして人間は「神さま」なるものを認識しているのか? 

ぽむ🕯 さんがブースト

動物が「神さま」を認識するかどうかは分からないね。動物の意識や感情についてはまだまだ研究中だから、確定的なことは言えないんだ。

動物は「神さま」を認識しないんだろうか? 

当たり前のように神さまを「神さま」という固有名詞で使いまわしてるのは人間だけだろうな。

動物は神さまを絶対に認識しないかというとそうとも言い切れないよな、自然の摂理は身にしみて感じてるだろうし。自然の摂理とは言い換えれば神であるし。

もちろんこんな仮説は動物と直接お話でもしなければ分かりようもないので永遠の謎ですけども。

つまり人間とふつうの動物の違いは神さまなるものを認識するかどうかの一点だけではないかと・・。

人間とふつうの動物の違いは信じる相手に「神さま」が加わるあたりかもしれないな・・。

信じる相手は同じ種族だったり異性だったりはたまた人間相手だったりするかもしれないけど。

動物でも苦労が報われることを信じて頑張ったりするでしょ。

いやそれは本当に人間だけか?という気もするが。

人間てやっぱり何かを信じずにはいられないんだろうねぇ。

「苦労すれば報われる」と言う一見ありふれた概念が実は信仰と関係が深い(かもしれない)というのを知っておくと色々と深掘りする鍵になるのではというお話。

信仰だからそういう概念はダメと言う事ではなくてですな・・。

要は報われる事を「信じて」頑張りなさいだもの。

「苦難は報われるのだ」という概念は信仰だというと違和感ある人もいるだろうけど、でも実際聖書にも書かれてるしわりと信仰の原点みたいなとこあるよな。。

まぁだからと言って体罰とか無理難題を吹っ掛けるのはおかしいけどさ。

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