昨日はいきなり粒の大きな雪がどさどさと降り出したり、今朝はぐっと気温が下がったり。いきなり本気の冬が始まったみたいだけど、これはそんなに長続きしない。
しかし今晩から明日の朝はまたかなり冷え込みそうで、水道管の水を落とさないといけなさそう。寒い季節はこの作業が地味にめんどくさいです。アパート自体がしっかりした作りだと、案外落とさなくても大丈夫だったりしますが、現居はたぶん必須。
(前住地もわりと冷え込みと雪がきついことはあったのですが、思えばかなり長く住んで、一度も水を落としたことがなかった。なお、学生時代に一度だけ水道管を凍らせたことがあります。あれは建物がひどくボロだったせい。)
天気が良かったので、自転車で盛岡まで走りました。八幡平市からは、大更あたりからだと2時間弱といったところです。条件が良ければですが。
この妙な形の自転車はCARRYMEというやつで、簡単に折り畳めて、バスや電車に持ち込むのも非常に簡単。気軽な輪行に最適な自転車と言えます。そのかわり、ですが、道路の凸凹はハンドルに思いっきり伝わってくるし、車輪の大きさからして段差に非常に弱いし、変速もなく、スピードは出ないし坂もかなり苦手。けっこう乗っていて疲れるやつです。
八幡平市から盛岡まではおおむねゆるい下り坂なので、自転車で行くのはそんなに難行ではありません。帰りは逆に上りになってかなりキツいので、盛岡の街中からバスに積んで戻りました。バスは大更駅あたりからだと盛岡駅まで片道800円、1時間ほど。この800円をケチりたいかどうかという話でもありますが、秋のこういう日は、いい運動になるし、走っていて気持ちいいものです。
なお、国道沿いの歩道は舗装がひどいところがところどころあり、CARRYMEだとわりと危険な目に遭ったりします。油断はできません(こないだも1回コケた)。
『Gのレコンギスタ』、しばらく前に劇場版全5作を通しで観て、それからTV版を観直しているのですが、けっこう面白いです。劇場版で作り替えられたところ、削られたところ、付け足されたところ。
数年前にTV版を通しで何度か観て、その細部をほぼ忘れた今になって、劇場版全5作を通しで観て、で、今、TV版を観直しています。
TV版も劇場版も、何と言うか説明が少なくて飛躍がすごく感じられるセリフや筋回しなのは同じなのですが、これ、たぶんそういうものとして作ってるんだろうな。なんでこういう会話になってんの?て思う部分って、お話としてはもう少し説明的というか筋道がわかるように描くべきなのかもしれないけど、日常的な、素の会話としては、たぶんこんなもんなんだろう、という感じ。それはそれで、まあ、わかる。だから、あまりがんばって考えて観ようとすると、かえって混乱してしまう。
でも、ただでさえそういう作りのものが、劇場版でさらに枝葉を削られているところがあったりするから、TV版を前提にしないとますますわかりにくくなってそう、という気はする。逆に、劇場版からTV版を観直すと、ああ、行間にこういう筋の動きがあったのか、と「発見」できるというのが面白くて。
なお、観てるのは写真のCOMPACT Blu-ray BOXのやつ。
数年前に亡くなった大学の恩師の奥さんに、地元のお菓子を送る手配をしました。あれからもう結構経つんだな、と不思議な感じ。
恩師とは学部生時代から一緒にヴィトゲンシュタインのテクストや研究論文を読んでいて、途中、大学院時代の中断をはさんで、修了後に某団体に就職してから、亡くなる数か月前までずっと続けていました。たぶん通算で数百ページは一緒にドイツ語や英語の文章を読んだと思います。『論理哲学論考』は2回読みました。
思えば、中央から遠く離れた田舎で、ドイツ語でヴィトゲンシュタインを一緒に読んでくれる人が居るということは、かなり稀なことだったわけで。でもそれが身に染みてわかったのは恩師が亡くなった後で、もうああいう贅沢な機会は二度と巡ってこないのだろうなあ。
画像は『哲学的探究』冒頭(1958年第2版、Basil Blackwell)。
実家(県南)にちょっと帰ってみたら、父親が八幡平方面に行くと言い出しまして。
父「アスピーテラインを通ってみたいんだよ」
ぼく「アスピーテラインの開通は明日やで」
父「・・・焼走りでも行ってみるか・・・」
ということで、焼走り。初めて行った気がします。なかなかすごい景観。父と母は焼走りをちょっと歩いて、県南某市へ帰って行きました。
岩手県八幡平市というところに2023年9月から住んでます。たまにJR花輪線に乗ったりします。
関心領域:
まんが、アニメ、クラシック音楽、輪行(CARRYME)、天文、歴史、ヴィトゲンシュタイン哲学