やっかいなものの、その先にあるのは、望まれたものであるという、欺瞞、祈り、救いなんですね。
で、祈るという行為も、救いであると定義付けられている。祈るということは、今は救われていないということだけど、何かを祈れるということはそれは希望で救いなんじゃないか、と。
祈ることさえできない登場人物もいるだけに。
主人公の斉藤くんの担任の先生は、それはもう頼りない人なのですが、その頼りなさ、至らなさが、この物語においては斉藤くんの回復に寄与しており、やっかいなもの、ままならなさを排斥するのではなく包括しようとする、そういう祈りの物語だったと思う。
とは言え、コスプレ不倫セックスの描写が多少しつこいんだよな。