子どもの時から寺の行事はどれも本当にほんとーうに、憂鬱だった。大人たちは慌ただしくていつもイライラしていて、そこにいない誰かの話がいつもされていた。母親は多方面にニコニコ対応し、何十人分もの食事を作って、寺中をピカピカにしなくてはいけなかったし、子どもは労働力であるのと同時に、ピカピカの一部だった。寺も子どもも磨き上げられて初めて、母はかろうじて生き延びる。
だから今自分が、ナモジの日を「たのしみだな」ってじわっと思っているのに気づくと、そのたびに新鮮な気持ちになる。
無理もしてるし、ハラスメントが不安だし、人と約束をするのは苦手だし、告知したりも普通に面倒だけど、でもやろうと思うしやれている。ピカピカを提供しない、不十分さを抱えたもの同士が作る場所に私はいたい
ど正論で泣ける。⇒「日本は女性を働かせるだけではだめ」 ノーベル賞・ゴールディン氏 https://mainichi.jp/articles/20231010/k00/00m/030/022000c
《ゴールディン氏は、日本では10~15年前に比べ働く女性が著しく増えているものの、フルタイムで昇進機会もある正社員ではなくパートなどの短時間労働が多いと指摘。》
《「働く女性が増えるのは良いことだと思う。だが、彼女たちは本当はどこにも進んでいないと言える」と述べ、真の意味での女性の社会参画は進んでいないとの見方を示した。》
《日本の低い出生率の改善策について、ゴールディン氏は「短期的にはとても難しいと思う」と明言した。「(現役世代である)息子の考え方を支配している年配の人を教育する必要があるためだ」と説明した。》