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子どもの時から寺の行事はどれも本当にほんとーうに、憂鬱だった。大人たちは慌ただしくていつもイライラしていて、そこにいない誰かの話がいつもされていた。母親は多方面にニコニコ対応し、何十人分もの食事を作って、寺中をピカピカにしなくてはいけなかったし、子どもは労働力であるのと同時に、ピカピカの一部だった。寺も子どもも磨き上げられて初めて、母はかろうじて生き延びる。

だから今自分が、ナモジの日を「たのしみだな」ってじわっと思っているのに気づくと、そのたびに新鮮な気持ちになる。
無理もしてるし、ハラスメントが不安だし、人と約束をするのは苦手だし、告知したりも普通に面倒だけど、でもやろうと思うしやれている。ピカピカを提供しない、不十分さを抱えたもの同士が作る場所に私はいたい

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