職場でお年寄りが戦時中や戦後の話をしているのに耳を傾けてみると「戦争は嫌」「絶対にしたらあかん」と異口同音に言っているけど、その根っこは自分や家族が大変な/怖い/ひもじい思いをしたから二度と同じ目に遭いたくないというところにあって、国家権力に人殺しを許してはならないし、その蛮行の片棒を担がされるのも断固拒否する、といったような、加害者意識と反省に立脚したものじゃないように感じられるのが危ういなぁといつも思う 戦争を自分たちが引き起こしたものじゃなく向こうからやってきた大きな災難のように捉えているの、国民が主権者じゃなかった時代の限界とも言えるし、時代に翻弄された犠牲者という一面も確かにあるだろうけど、とはいえあまりにも自分たちを免罪しすぎでは…?大変な目に遭ったからもう嫌、という文脈でだけ厭戦を伝えていたら、じゃあ今度はもっとうまいこと戦争すりゃいいんじゃん?のほうに転ぶ可能性を摘みきれないやん…?という気持ちが拭えない
せめて、自分たちがどんな被害を受けたかと同じくらいの詳しさ、深さ、強度で、どんな加害を行なったかも学べていたらなぁ…