会社の20代前半で90年代の日本の暴力映画が好きなんですよという奇特な若手と飲んでた。日本人作家全然読んでなくて活字ででそういう匂いのする人いる?と聞いた時に、「いますよ!その人の作品でゼミの発表もしたんですよ。タイトル知ってるかなあ。ババヤガの……」となった時の知ってるどころの騒ぎではない感。
40を過ぎても、受動的な趣味より能動的な勉強の方が遥かに集中できて時間が溶けるのを知ったのはここ最近の意外な驚きだった。ちょっと寂しくもあるけど。
『鬼平犯科帳 血闘』観たのだけど、面白かったがこれ一定の年齢より上の娯楽という枠を超えることはなかったなという印象だった。特に女性描写の古さについて、原作がそうだったから時代がそうだったからしょうがない。というのは確かに間違ってはいない。だけど、それじゃあ今は売れない=若い人に響くものにはならないというのをまざまざ見せつけられた感じ。
当時にない現在的かつ大所高所な視点から過去を断罪するようなキャラはそれはそれで嫌いなんだけど、原作や時代に準拠していった結果中高年にしか向かず若い人に訴求できないままだと興行的に伸び悩みもするだろうなと思ってしまった。俳優も若い人に訴求するような人はいなかったし(中村ゆりのおまさは梶芽衣子とは違う儚げな美しさでそこは突出してよかったけど)
鬼平みたいな時代劇が今スクリーンでかかることについての価値は認めるものの、時代劇という娯楽の「若くなさ」を感じてもしまう複雑な鑑賞体験だった。ここで回してる限りいつか閉じていってしまうなという。
最近の新しい人類は「映画観るのもういい」となって興味を失ってしまってかなしみ。また、興味持つかなあ